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長崎県立長崎図書館 > 調査・相談事例集(レファレンス事例集)

●調査・相談事例集(レファレンス事例集)

今までに寄せられた調査相談(レファレンス)事例のうち、代表的なものをご紹介します。
レファレンスサービスのご利用は、直接カウンター係員へおたずねください。

#郷土に関するレファレンス事例 #国立国会図書館のレファレンス共同データベース

#一般的なレファレンス事例

※資料情報は
・『』に書名
】に著者・編者/出版者/刊行年/請求記号の順で表記しています。

#郷土に関する質問

#各分野別による検索

0.総記 1.哲学・宗教  2.歴史・地理 3.社会科学 4.自然科学 5.技術 6.産業 7.芸術・スポーツ 8.言語 9.文学

#各質問別一覧による検索
0.総記 ① 過去のハウステンボスの利用者数を知りたい。
  ②過去5年間の長崎港に入港した船舶数を知りたい。
  ③本県に関する「日本一」を知りたい。
  ④原爆投下直後も、長崎市内で新聞が発行されていたって、本当ですか。
  ⑤1950年代に長崎港に寄港した外国客船の名前を記録した資料はありますか。
  ⑥オランダ村の過去の入場者数を知りたい。
1.哲学・宗教 ① 長崎市内の神社・仏閣の名称と簡単な来歴を調べたい。参考文献を教えてほしい。
  ②鉄川与助設計の教会について知りたい。
  ③明治初年の浦上キリシタンの史料を探しています。浦川和三郎や家近良樹の著書は拝見していますが、それ以外で長州藩や松江藩に配流された浦上キリシタンの資料等ありますか。
2.歴史・地理 ①江戸時代、長崎に置かれていた各藩の蔵屋敷の場所を知りたい。
  ②江戸時代、長崎にはチョコレート(カカオ)があったと聞いたが、くわしく知りたい。
  ③旧長崎街道を歩いてみたい。お薦めの本を紹介してほしい。
  ④長崎にあった「カルルス温泉」とは、何か。「カルルス」とは地名か。
  ⑤長崎には正月の行事として「七高山(しちこうざん)巡り(詣り)」というのがあるとのことですが、その「いわれ」や「山の名前」について知りたい。
  ⑥釣りの本以外で、五島・福江が写っている航空写真はありますか。
  ⑦1900年の「義和団事件」(北清事変)の時、フランス軍の傷病兵が長崎で治療を受け、死没者は外国人墓地に埋葬されたそうだが、そのことを記した本を所蔵していますか。
  ⑧長崎県立長崎図書館初代館長である永山時英と、長崎在住の歴史学者古賀十二郎が写っている写真を所蔵していますか。
  ⑨松浦市の文化財の写真が掲載された書籍がありますか。
  ⑩壱岐に雪の島という地名はありますか。
  ⑪長崎県で最初に映画が上映されたのは「いつ、どこで」だったのでしょうか。
  ⑫孫文に出会った人物として九州日之出新聞記者の田中侍郎のことが知りたい。
  ⑬現在刊行されている「島原天草一揆」に関する資料がありましたら教えてください。
  ⑭江戸時代、大分で領内の殖産・教育に尽力した山田蘇作という人物が、なぜ長崎で処罰を受けたのか。
  ⑮イチゴ(オランダイチゴ)は江戸時代に、出島に伝来したのでしょうか。
3.社会科学 ①(教育)長崎の女子教育のはじまりについて知りたい。
  ②(祭礼)壱岐の代表的な祭り、行事を教えてほしい。
  ③(祭礼)県内で、ユニークな祭り・行事にどんなものがあるか、知りたい。
  ④(教育)長崎県内のPTA活動の歴史について知りたい。
  ⑤(教育)最近映画になった大村出身の石井筆子(いしいふでこ)について知りたい。
  ⑥長崎の原爆被害に関して調べたい。
  ⑦(教育)長崎県へ修学旅行へ行きます。参考になる資料はありますか。
  ⑧毎年長崎市で開催されている「長崎帆船まつり」の写真集は、ありますか。
  ⑨長崎市が、米国セントポール市と姉妹都市の提携をした時、占領中だったせいか、当時の田川務市長は、米国での調印式に参加できなかったと聞いた。その辺りの事実関係を知りたい。
  ⑩明治十年代、政府が派遣した「巡察使」が、長崎県に派遣されたらしい。誰が派遣されたのか。その報告書は刊行されているのか。
  ⑪長崎中学校の学友会雑誌より、以下の年度の修学旅行参加者数を知りました。当時の在籍生徒数を教えてください。①明治43年10月参加者数5年70名4年180名②明治44年10月参加者数5年80名4年94名
4.自然科学 ①雲仙に生息する動植物について知りたい。
  ② 植物学者;外山三郎氏の著作を読みたいので、教えてほしい。
  ③長崎県内で発行されている「レッドデータブック」(絶滅が危惧されている野生動植物が紹介されている本)について、教えてほしい。
  ④シーボルトがヨーロッパで出版した『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』に掲載されているアジサイの図をカラーで見たい。
  ⑤江戸時代におけるツル類に関する記述のある資料を教えてほしい。
  ⑥1911(明治44)年県営雲仙公園が開設されたころの図面や文章などはどこにありますか。
5.技術 ①三菱長崎造船所の創業の時期と創業者を知りたい。
  ②佐世保の骨董品店で「人和自然?」らしい銘の入った焼き物を見た。明治期の作で、欄間に使う平たいもので、額に入っていた。作者を探す手がかりがあるか。
  ③(料理)「長崎くんち」で出される料理を知りたい。
  ④(料理)「普茶料理」とはどのような料理なのか知りたい。
  ⑤(料理)長崎市の名物料理を調べるのに、何を参考にすればいいですか。
  ⑥針尾無線塔は、いつ頃、何の用途で建設されたかを知りたい。
  ⑦(料理)卓袱(しっぽく)料理とはどんなものですか。また家庭でも作れますか。
  ⑧小浜温泉では、泉源を利用した製塩工場が林立していた。このことを調べる資料はあるか。
  ⑨坂本龍馬が、カステラのレシピを書き残していると聞きました。それは、刊本に掲載されていますか。
  ⑩江戸時代以降、西洋から伝わった牛肉を使った料理を知りたい。
  ⑪長崎でイチゴの缶詰が初めて作られたということを裏づける資料はありますか。
6.産業 ①長崎で開催された「全国菓子大博覧会」とは、どのような博覧会だったのか知りたい。
  ② 生月の捕鯨は、いつ頃から盛んになったか知りたい。
  ③戦前、長崎と中国との間で航行していた、長崎丸と上海丸の最後の航海日が知りたい。
  ④(農業)長崎県内で古くから栽培されている野菜にはどんなものがありますか。
  ⑤長崎のカステラ、佐世保のハンバーガーには、認定制度があるそうですが、それぞれどのように認定しているのですか。
  ⑥1906(明治39)年3月28日におきた高島炭鉱蛎瀬坑ガス爆発の災害について記述している資料を紹介してください。
7.芸術・スポーツ ①平戸出身の童画家;黒崎義介について知りたい。
  ②長崎には「日本最初の○○」(ことはじめ)がたくさんあるそうだが、スポ-ツに関してはどうか。
  ③戦前、長崎市で小学校の合同運動競技会が開催されていたらしい。各競技の優勝者、記録など調べることができますか。
  ④昭和4年8月、長崎市山里小学校の野球チームが全国大会に出場したということを知った。何という大会で、結果はどうだったのか、知りたい。
  ⑤長崎県出身の劇作家、舞台芸術の戯曲作家の名前・出身地・生没年・主な作品名を知りたい。
  ⑥1954年に力道山が長崎でプロレス興行を行ったときの新聞記事等から会場や対戦の様子などがわかりませんか。
8.言語 ①「徒然草」(つれづれぐさ)の「つれづれ」を、「徒然」の字のとおり「とぜん」と発音する地域があると聞いた。「つれづれなり」と同じ意味なのかどうか、教えてほしい。
  ②「ごきぶり」の方言での呼び方を教えてほしい。
  ③長崎県内で歌われている子守歌について、教えてほしい。
  ④長崎県の代表的な雨乞いの民話を教えてほしい。
  ⑤「さて君さまは御安徳 ただなにごとも中木場……」で始まり、「安徳」・「中木場」と島原半島の地区名を入れた歌があるらしい。その歌詞が掲載された本を所蔵しているか。
  ⑥天狗の伝承に関する資料を知りたい。
  ⑦「でんでらりゅうば」という歌について、歌詞とその意味を教えてください。
9.文学 ①長崎県出身の芥川賞・直木賞受賞作家を知りたい。
  ② 長崎市内にある文学碑について知りたい。
  ③長崎県内にはどのような文芸誌があるか、教えてほしい
  ④長崎県関連の文学賞や文芸大会を知りたい。
  ⑤長崎県の児童文学について知りたい。
  ⑥『広辞苑』の編者として知られる新村出は、長崎とのかかわりが深いと聞きました。そのことについて調べたい。
  ⑦代表作『大地』で知られるパール・バックが日本を舞台に描いた小説は長崎と関係があるそうですが、そのことについて調べたい。
  ⑧小林多喜二著の『蟹工船』で、「監督浅川」として描かれている人物のモデルは、長崎出身と聞いた。その人物について知りたい。
  ⑨山口麻太郎著『壱岐国史』のP292に、以下のようにあります。
 「衣笠内大臣藤原家良の歌“雪の島 牧の子牛が三とせまで はなたぬほどもたへがたの夜や”は、牛の産地壱岐としては忘れられない歌である。家良が内大臣になったのは仁治元年(1240)乃至二年と見るべきものであるから、その後の作と見ねばならぬ。」
 この和歌の出典を知りたい。
 

■項目:郷土 0 総記 ①
[Q]過去のハウステンボスの利用者数を知りたい。

[A]ハウステンボスの利用者数は以下のとおりです。〔単位:人〕

○ 平成 4年 3,036,700 ○ 平成 9年 4,162,300 ○ 平成14年 3,529,900 ○ 平成19年 2,215,800

○ 平成 5年 3,852,400 ○ 平成10年 4,000,800 ○ 平成15年 2,378,200 ○ 平成20年 2,215,600

○ 平成 6年 3,880,300 ○ 平成11年 3,819,000 ○ 平成16年 2,010,000

○ 平成 7年 3,982,000 ○ 平成12年 3,856,400 ○ 平成17年 1,955,800

○ 平成 8年 4,207,500 ○ 平成13年 3,612,800 ○ 平成18年 2,061,700

※ハウステンボスは平成4年3月オープンです。

※平成5年~平成13年はオランダ村利用者を含みます。

【参考になる資料】

 次の資料は、観光に関するデータだけでなく、人口、気象、産業等、長崎県に関するあらゆるデータを調べることがでます。

・『長崎県統計年鑑』 (昭和27年(1952年)以降現在まで毎年分所蔵)
【長崎県県民生活部統計課 編・刊行 / 14-910 】

・『長崎県勢要覧』(明治23年(1890年)以降現在まで毎年分所蔵
【長崎県県民生活部統計課 編・刊行 / 14-12-8】

 次の資料は、地域別、日帰り・宿泊別、県内・県外別の観光客や観光消費額の動向など観光に関する統計全般について調べることができます。

・「長崎県観光統計」 (昭和43年(1968年)以降現在まで毎年分所蔵)
【長崎県県民生活部統計課 編・刊行 / 14-1752】

【参考になるインターネットのサイト】

☆ 「長崎県の統計」http://www.pref.nagasaki.jp/toukei/


掲載日:2007年2月14日(更新日:2010年4月20日)

■項目:郷土 0 総記 ②
[Q]過去5年間の長崎港に入港した船舶数を知りたい。

[A]平成12年から16年までの入港船舶数をお答えします。

○ 平成12年 〔単位:隻〕

外航船 285 内航船 14,517 総数 14,802

○ 平成13年

外航船 283 内航船 14,012 総数 14,295

○ 平成14年

外航船 275 内航船 13,829 総数 14,104

○ 平成15年

外航船 317 内航船 13,721 総数 14,038

○ 平成16年

外航船 260 内航船 13,718 総数 13,978

○ 平成17年

外航船 266 内航船 12,898 総数 13,164

○ 平成18年

外航船 219 内航船 13,674 総数 13,893

○ 平成19年

外航船 301 内航船 13,671 総数 13,972

【参考になる資料】

次の資料には、長崎港に関するデータだけでなく、長崎市に関する市勢全般にわたる基本的なデータが掲載されています。

・『長崎市統計年鑑』(昭和31年(1956年)以降現在まで毎年分所蔵)
【長崎市企画部統計課 編・刊行 / 14-557-4】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎市統計データ」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/aramasi/toukei_data/


掲載日:2007年2月14日(更新日:2010年4月20日)

■項目:郷土 0 総記 ③
[Q]本県に関する「日本一」を知りたい。

[A]主な分野ごとに、1事例ずつ紹介します。 (スポーツを除きます。)

○ 自然・地理

「世界最高緯度にある珊瑚礁」 … 壱岐市郷ノ浦町黒崎沖
(北緯33度48分)

○ 農業

「日本最大のびわ収穫量」 … 平成18年度収穫量 2,130トン
(全国の約35%)

○ 畜産業

「日本最多の鹿の飼育頭数」 … 平成18年4月現在 2,979頭
(全国の約39%)

○ 水産業

「日本最大の鯛類漁獲量」 … 平成17年度漁獲量 3,616トン
(全国の約14.5%)

○ 建造物

「日本最古の天主堂」 … 1865年落成の大浦天主堂

○ 教育

「日本最多のジュニアマイスター」 … 平成18年度認定者数 121名
(全国工業高校校長会協会ジュニアマイスター顕彰制度のゴールド認定者)

○ その他

「離島定期航路数」 … 平成19年4月現在 44航路

このほかにもたくさんあります。

【参考になる資料】

『長崎県の日本一・世界一』
【長崎県広報広聴課 編・刊行 / 14-1332-1~10 】

昭和63年のパート1以降、現在パート10まで刊行。平成18年3月に出されたパート10では、ナンバーワン編、事始め編、オンリーワン編、日本の三大○○編、百選編の五つから構成され、それぞれに長崎県の素晴らしさ、特徴を知ることができます。

【参考になるインターネットのサイト】

☆「長崎県の日本一・世界一」
http://www.pref.nagasaki.jp/koho/plaza/no1/index.html


掲載日:2007年3月30日(更新日:2010年4月20日)

■項目:郷土 0 総記 ④
[Q]原爆投下直後も、長崎市内で新聞が発行されていたって、本当ですか。

[A]本当です。本館4階、郷土課で閲覧できます。

「空襲のため1つの新聞社が破壊された場合、他社で印刷・発行できる」という相互協定を、長崎新聞社と西日本新聞社が結んでいたので、8月10日付から題 字だけ「長崎新聞」に切り替えて西日本新聞社で印刷し、配達していました。以後、休刊なく発行されています。10日付紙面に「新型爆弾」の記事は出ていますが、惨状については報道されていません。占領直後からは、アメリカの検閲もあり、報道に制限が加えられていたようです。

【参考になる資料】

・『激動を伝えて一世紀 長崎新聞社史』
【長崎新聞社 編・刊行 /2001年09月/13-5396】

・本館は、大正時代から現在までの新聞原紙を保存し、閲覧に供しています。大正時代に長崎市内で発行されていた「東洋日の出新聞」、昭和初年からの「長崎新聞」、「長崎日日新聞」は、ほとんど欠号なく収蔵しています。(明治時代の新聞閲覧は、長崎歴史文化博物館で受けつけています。)

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎新聞」
http://www.nagasaki-np.co.jp/


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 0 総記 ⑤
[Q]1950年代に長崎港に寄港した外国客船の名前を記録した資料はありますか。

[A]『長崎市史年表』【長崎市市史年表編纂委員会 編/長崎市役所 刊行/1981年/219-01ナガ】によると、

1958(昭和33)年4月7日、英国国際観光船「カロニア号」(34100トン)が初寄港。翌年4月5日に同船が再寄港。

1950年代の外国客船の来港は2回だけのようです。同資料によると1961(昭和36)年6月8日、英国船「アイベリア号」が3隻目と記述されています。以後、1978(昭和53)年までの来港船については同資料に記述されています。


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 0 総記 ⑥
[Q]オランダ村の過去の入場者数を知りたい。

[A] 『西彼町郷土誌』【西彼町教育委員会 編/昭和堂 刊行/2003年/219-11セイ】によると

昭和59年593,624人昭和60年1,427,000人昭和61年1,379,669人昭和62年1,553,045人
昭和63年1,721,006人平成元年1,825,277人平成2年1,933,108人平成3年1,874,892人
平成4年283,428人平成5年430,000人平成6年470,000人平成7年388,968人
平成8年468,000人平成9年428,000人平成10年357,793人平成11年298,112人
平成12年258,000人平成13年139,700人

掲載日:2013年3月21日

項目:郷土 1 哲学・宗教 ①
[Q]長崎市内の神社・仏閣の名称と簡単な来歴を調べたい。参考文献を教えてほしい。

[A]わかりやすくまとめてあるのは『長崎事典 歴史編』【山田かん 他 /長崎文献社 刊行/1982年/13-2559-2】です。
神社・教団・仏寺が五十音順に紹介されており、前後の通史・人物史と併せると より理解が深まります。

  大正末から昭和初期にかけて編纂された『長崎市史』の中に仏寺部、神社 教会部がまとめられています。なお、本書の、復刻版が刊行されています。

・『長崎市史 地誌編 仏寺部 上』
【長崎市 編/清文堂 刊行/1981年06月/13-207.3】

・『長崎市史 地誌編 仏寺部 下』
【長崎市 編/清文堂 刊行/1981年07月/13-207.3】

・『長崎市史 地誌編 神社 教会部 上』
【長崎市 編/清文堂 刊行/1981年09月/13-207.3】

・『長崎市史 地誌編 神社 教会部 下』
【長崎市 編/清文堂 刊行/1981年10月/13-207.3】


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 1 哲学・宗教 ②
[Q]鉄川与助設計の教会について知りたい。

[A]設計施工したもの34(晩年の鉄川工務店設計も含む)、一部施工を含めると約50あると言われています。(県名の記載がないものは長崎県)


1 冷水木造
2 野首煉瓦修復復元
3 青砂ヶ浦煉瓦
4 楠原煉瓦内陣増築
5 佐賀木造戦災佐賀県
6 山田煉瓦正面増築
7 今村煉瓦福岡県
8 宮崎木造取り壊し宮崎県
9 大曽煉瓦
10 江上木造
11 堂崎煉瓦大幅改修
12 大水木造
13 田平煉瓦
14 頭ケ島石造
15 細石流木造
16 平蔵木造現存せず
17 手取鉄筋熊本県
18 大牟田木造戦災福岡県
19 呼子木造一部増築佐賀県
20 八幡木造戦災福岡県
21 戸畑木造戦災福岡県
22 紐差鉄筋
23 大江鉄筋熊本県
24 新田原木造集会場に改変福岡県
25 水俣木造修道院に改変熊本県
26 崎津鉄筋一部木造熊本県
27 小倉木造取り壊し福岡県
28 水の浦木造
29 愛野木造正面増築
30 浦上鉄筋改修
31 諫早鉄筋建て替え
32 桐鉄筋
33 船隠鉄筋
34 丸尾鉄筋

 冷水教会堂以前に、旧曽根教会堂(現存せず)、旧鯛ノ浦教会堂、桐ノ原教会堂(増築工事、現存せず)工事に関わったと考えられています。また、ド・ロ神父とともに長崎大司教館の新築工事にも従事しています。

【参考になる資料】
・『長崎の教会堂』
【林一馬 著/九州労金長崎県本部 刊行/2002年07月/16-805】

・『長崎の教会』
【三沢博昭 川上秀人 著/智書房 刊行/2000年08月/18-1364】

・『より高く美しく』
【新聞記事スクラップブック(西日本新聞)/本館作成/1991年/11-2266】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「わたしのおじいちゃんがたてた教会」www1.odn.ne.jp/tetsukawa


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 1 哲学・宗教 ③
[Q]明治初年の浦上キリシタンの史料を探しています。浦川和三郎や家近良樹の著書は拝見していますが、それ以外で長州藩や松江藩に配流された浦上キリシタンの資料等ありますか。

[A] 浦上四番崩れによるキリシタンの山口や松江配流に関して、以下の資料がありました。

『片岡弥吉全集1 日本キリシタン殉教史』
【片岡弥吉 著/智書房 刊行/2010年/198-00カタ】
『浦上四番崩れ グリーンベルトシリーズ24』
【片岡弥吉 著/筑摩書房 刊行/1963年/198-01ウラ】
『日本キリシタン迫害史 一村総流罪3,394人』
【津山千恵 著/三一書房 刊行/1995年/198-00ニホ】
『長防切支丹誌 改訂版』
【アウグスチノ岩崎太郎 著/桜プリント社 刊行/2005年/198-99チヨ】
「『キリシタン迫害と殉教の記録 中』防長切支丹」樋口彰一著
【茂野幽考共 著/フリープレス 刊行/2010年/198-00キリ-2】
『キリシタン研究 第14輯』「異宗門徒人員帳の研究」片岡弥吉著
【キリシタン文化研究会 編/吉川弘文館 刊行/1972年/198-00キリ-14】
『帰ってきた旅の群像 浦上一村総流配者記録』
【山田光雄編 著/1993年/198-01カエ】
『姫路・岡山・鳥取に流された浦上キリシタン』
【三俣俊二著/聖母の騎士社刊行/2002年/198.2-ミ-02】


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ①
[Q]江戸時代、長崎に置かれていた各藩の蔵屋敷の場所を知りたい。

[A]以下の14藩の蔵屋敷が、正式なものです。現在の町名も表示しました。
萩藩蔵屋敷跡   興善町6番(後ち、済美館、新町活版所となる)
小倉藩蔵屋敷跡  興善町5番
福岡藩屋敷跡跡  五島町5番
久留米藩蔵屋敷跡 銅座町4番
柳川藩蔵屋敷跡  五島町1・2番
唐津藩蔵屋敷跡  上町6番 
大村藩蔵屋敷跡  中町1番(現在の中町教会)
島原藩蔵屋敷跡  恵比寿町1番
五島藩蔵屋敷跡  銅座町6番
平戸藩蔵屋敷跡  大黒町11番
対馬藩蔵屋敷跡  銅座町1番(現在の十八銀行本店)
佐賀藩蔵屋敷跡  大黒町14番
熊本藩蔵屋敷跡  大黒町7番
薩摩藩蔵屋敷跡  銅座町13番 三菱信託銀行

  他に、鹿島藩、富江藩、福山藩などが蔵屋敷を置いていましたが、用達の居宅が、 蔵屋敷にあてられた所もあります。
佐賀藩の家臣である諫早・武雄・多久・深堀の4家は、それぞれ屋敷を設けていました。
興善町の坂道は、かつての萩藩と小倉藩の蔵屋敷の間にあることから、今でも「厳流坂」と呼ばれています。

【参考になる資料】
・『長崎の史跡 北部編』
【(旧)長崎市立博物館 編・刊行/2002年03月/13-5471-1】

・『長崎の史跡 南部編』
【(旧)長崎市立博物館 編・刊行/2002年11月/13-5471-2】

【参考になる施設】
☆現在の建物の側に、石碑が建っています。


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ②
[Q]江戸時代、長崎にはチョコレート(カカオ)があったと聞いたが、くわしく知りたい。

[A]江戸時代の史料、「長崎聞見録」、「寄合町諸事書上控帳」に記述があります。広く街中に流通したわけではなく、出島に出入りした一部の者はココア飲料を口にすることがあったと考えられます。
 史料の原本は長崎歴史文化博物館所蔵ですが、翻刻が出版されていますので、図書館でも読むことができます。

「長崎聞見録」
百二十 しよくらとを
しよくらとをハ 紅毛人持渡る腎薬にて 形獣角のごとく 色阿仙薬に似たり。 
其味ひは淡なり。其製は分暁ならざるなり。服用 先 熱湯を拵へ……

図が描いてあります。  「形如斯」(形、かのごとき)の文字があります。

註 分暁 明白という意味
『長崎文献叢書 第1集・第5巻』
【丹羽漢吉 校訂/長崎文献社 刊 1975年05月/219.3-N-7】

「寄合町諸事書上控帳」 
寛政9(1797)年3月、遊女屋「筑後屋」の主人平右衛門が、遊女大和路がオランダ人 から贈られた品物の一覧表を提出しています。この中に「しよくらあと 六つ」とあります。
 遊女が、出島や唐人屋敷に出入りする際、抜荷(密輸)したり、遊女へのプレゼントと称して禁制の品が入るのを防止するために、このような措置がとられていました。

『日本都市生活史料集成 七 港町篇Ⅱ』
【原田伴彦 編/学習研究社 刊/1976年/383.9-N-7】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「日本チョコレート・ココア協会」http://www.chocolate-cocoa.com.

このサイトでは「長崎聞見録」が、「長崎見聞録」と表示されています。


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ③
[Q]旧長崎街道を歩いてみたい。お薦めの本を紹介してほしい。

[A]以下の本館資料を紹介します。

①『長崎街道 長崎県文化財報告書 第154集』
【(H12)長崎県教育委員会 刊/2000年03月/13-1096-154】

②『佐賀・島原と長崎街道 街道の日本史50』
【長野暹 編/吉川弘文館 刊/2003年09月/13-5629】

③『長崎街道 1』~『長崎街道 3』
【遠藤薫 編/図書出版のぶ工房/2000年~2002年/13-5178-1~3】

④『長崎街道を行く』
【松尾卓次 著/葦書房 刊/1999年12月/13-4974】

⑤『長崎~江戸 歴史街道を歩く』
【餅田健 著/ゆるり書房 刊/2004年11月/13-5801】

①は213ページにわたる詳細な報告集で、主な内容は以下のとおりです。
*現在の地図上に長崎街道を復元した図版
(長崎~時津、長崎~諫早、諫早~俵坂峠、諫早~小長井)
*天明3年・文政4年の人馬賃銭、『大村郷村記』から引用した船賃、
ケンペル江戸参府の費用
*宿場、茶屋、番所跡、道標などの写真(多数)
*長崎街道往還の記録
(『長崎行役日記』長久保赤水、『西遊雑記』古河古松軒、ツュンベリー、
フィッセルなどの紀行文、計21冊の解題)

③はカラー写真が多く、長崎街道を現在の地図に復元した図版も収められ
ています。

④の著者は現在島原城資料館に専門員としてお勤めで、小倉~長崎を実際に踏破
された上で、この本をまとめられています。

⑤は、著者が古希の記念に34日間の歩行旅行に挑戦した様子をまとめた
ものです。

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎街道」 http://www.pref.nagasaki.jp/n-kaido

【参考になる施設】
☆本館近くの新大工町商店街に桜馬場天満宮があり、「長崎街道ここに始まる」の碑が立っています。


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ④
[Q]長崎にあった「カルルス温泉」とは、何か。「カルルス」とは地名か。

[A]「中川カルルス」は、現在の中川1丁目4、5番、新中川町5~7番にあり、桜の名所としても知られていました。チェコスロバキア(現在のチェコ)のカルルスバート(カルロビ・バリ)の鉱泉を結晶化させた薬品、「カルルス水」を沸かしたところから「カルルス温泉」と呼ばれたようです。明治33年頃、安田伊太郎が温泉場、茶屋を整備しました。

 翌年、戸町の藤田東三郎・東人親子が、「戸町カルルス」を現在の戸町2丁目一帯に開きました。

【参考になる資料】
・『長崎ぶらり散歩』
   【原田博二 著/親和銀行 刊行/1995年04月/13-4313】

・『長崎の史跡 南部編』
   【(旧)長崎市立博物館 編・刊行/2002年11月/13-5471-2】

・『長崎市史 地誌編 名勝旧跡部 復刻版』
   【長崎市 編/清文堂出版 刊行/1981年/13-207-3】

・『華の長崎』
   【ブライアン・バークガフニ 編/長崎文献社 刊行/2005年02月/18-1599】


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑤
[Q]長崎には正月の行事として「七高山(しちこうざん)巡り(詣り)」というのがあるとのことですが、その「いわれ」や「山の名前」について知りたい。

[A]江戸時代から、正月の2日から15日ごろまでに1日かけて「七高山巡り(詣り)」をする風習がありました。これを行うと運が開けるという言い伝えがあります。だいぶ薄れましたが、現在もこの行事は続いています。七高山は金比羅山、七面山、秋葉山、烽火山、彦山、豊前坊、愛宕山をいいます。愛宕山のかわりに岩屋山でもよいそうです。

 
【参考になる資料】
・『長崎事典・風俗文化編』
【山田かんほか 執筆/長崎文献社 刊行/1982年01月/18-2559-1】
・『長崎への招待』(第7版)
【嘉村国男 著/長崎文献社 刊行/1986年10月/13-1026-2】
・『長崎県の山』
【山野辺捷男・井上晋 著/山と渓谷社 刊行/2005年12月/13-5939】


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑥
[Q]釣りの本以外で、五島・福江が写っている航空写真はありますか。

[A]最近の航空写真は所蔵しておりませんが、当館では下記年代の資料を所蔵しています。

 
・『日本航空写真地理』
【多田文男 編集/河出書房 刊行/1954年/291-TA16】
男女群島1枚、五島の大崎2枚の写真が掲載されています。

・『長崎 天と地の旅 日本の山河』
【北小路健 文/国書刊行会 刊行/1976年10月/291.0-N-6】
福江港、堂崎天主堂、石田城各1枚の写真が掲載されています。

・『ふるさと旋回(長崎県航空写真集)』
【長崎新聞社 編集・刊行/1982年/219.3-N】
P246~P271に福江市、南松浦郡各地(現在の五島市、新上五島町他)の写真が掲載されています。

・『空中写真 福江・玉之浦』
【建設省国土地理院 編集・刊行/1975年/3-891-14】

・『空中写真 福江・三井楽・岐宿』【同上/3-891-29】

・『空中写真 福江・富江』【同上/3-891-31】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「国土地理院」 http://www.gsi.go.jp/


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑦
[Q]1900年の「義和団事件」(北清事変)の時、フランス軍の傷病兵が長崎で治療を受け、死没者は外国人墓地に埋葬されたそうだが、そのことを記した本を所蔵していますか。

[A]以下の資料に記述があります。

・『長崎市制五十年史』【長崎市 編・刊/1939年/13-780】
P257に、仏国は浪平町山手の清心女学校内に仮病院を設置した旨記述されています。

・『途杖100年』【幼きイエズス修道会日本管区 編・刊/1977年/11-1466】
P69に「仏海軍傷病兵引き揚げに際しての記念撮影 1901」と題された写真が掲載され、清心女学校、 修道院、聖ベルナルド病院などで、850人を受け入れた旨記述されています。

・『時の流れを超えて~長崎国際墓地に眠る人々』
【レイン・アーンズ 他 著/長崎文献社/1991年291.1-ア】
P224~230に、坂本国際墓地のフランス人兵士区域の埋葬者リストが掲載されています。 (P81には、当時植民地だったヴェトナム出身者の墓に関する記述があります。)

・『Soldats et Matelots francais aux cimetieres internationaux au Japon』
(日本の国際墓地に眠るフランス軍水兵~クリミア戦争1855 義和団事件1900-1901)
【西堀昭 著/自費出版/2007年/629-01S0】
長崎、広島の国際墓地にある、義和団事件戦没者の各人の墓碑がカラー写真で掲載され、氏名・生没年月日、 関係の新聞記事などが掲載されています。西堀氏は横浜国立大学名誉教授(近代日仏交流史)、 2007年に3回来崎、調査の度に自費で墓石を掃除され、同年12月には慰霊のミサも行われています。 (2008年4/3付朝日新聞長崎版に記事あり)


掲載日:2008年5月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑧
[Q]長崎県立長崎図書館初代館長である永山時英と、長崎在住の歴史学者古賀十二郎が写っている写真を所蔵していますか。

[A]いわゆる「ツーショット」の写真ではありませんが、画面上で二人が写っている集合写真を四葉所蔵しています。

①「長崎図書館落成記念写真」【為政写真館 撮影/1915(T4)年11月28日/18-53】
本館(旧館)落成時の記念写真、正面玄関前に約110人が写っています。志賀親朋(浦上渕村の庄屋の家に生まれ、 幕末から活躍したロシア語通訳)、李家隆介(知事)、永見寛二(後ち十八銀行頭取)の姿もあります。

②「長崎史談会々員写真」【1918(T8)年頃/3-519】
国友鼎(当時長崎医専教授)、増田廉吉(当時本館司書、後ち第2代本館館長)らの姿もあります。

③「永山時英関係写真 人物7名」【富士写真館 撮影/年月不詳/3-5-2-2】
コイペル(歴史学者)、武藤長蔵(長崎高商教授)、楠本チエ(シーボルトの子孫)らも一緒に写っています。

④「C.R.ボクサー来館記念写真」【1933(S8)年/3-474】
国友鼎(長崎医大教授)、武藤長蔵(長崎高商教授)、林源吉(郷土史家)の姿もあります。


掲載日:2008年5月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑨
[Q]松浦市の文化財の写真が掲載された書籍がありますか。

[A]以下の資料には、カラー写真で、文化財が紹介されています。

・『長崎県の文化財』【長崎県教育委員会 編/長崎県文化団体協議会 刊/2001年/709.1-ナ】

・『伝統文化の華 長崎県の文化財写真集』【長崎県教職員互助組合 編・刊/1988年/709.1-デ】

・『松浦市の文化財』【松浦市教育委員会 編・刊 /1999年/13-4053-2】

・『ふくしまの文化財』【福島町教育委員会 編・刊/1991年/13-2556】

以下の資料は、研究論文が主ですが、文化財が白黒写真で紹介されています。

・『長崎県北松浦地方の文化 特定地域の基礎文化調査報告書Ⅳ~Ⅵ』
【長崎県立美術博物館編・刊/1984年~1986年/709.1-デ】

・『松浦市とその周辺地区の文化財 地区別文化財総合調査概報』
【長崎県教育委員会 編・刊/1979年/13-1096-44】
各教育委員会が「文化財調査報告書」を発行していますが、これらの多くは遺跡の発掘調査報告書です。
旧鷹島町教育委員会が発行した、元寇による「海底遺跡」の調査報告書も所蔵しています。


掲載日:2008年5月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑩
[Q]壱岐に雪の島という地名はありますか。

[A] 以下の資料において字名というより、呼称としての記載がありました。

(1)『長崎県の小字地名総覧 主な小字地図と小字地名』
【草野正一 著/1999年/291-00ナガ】>
(2)『壱岐名勝図誌 下巻』
【名著出版 刊行/1975年/219-09イキ-3】
(3)『勝本町郷土史 鯨伏編』
【勝本町教育連絡協議会 編/勝本町教育委員会 刊行/1956年/219-09カツ】
『まるごと壱岐事典 海とみどり、歴史を活かす癒やしのしま 壱岐』
【壱岐市産業経済部観光商工課 編/刊行/2008年/291-09マル】
(1)の地図によると勝本町本宮仲触の字岳城の北、浦海海岸沿いにあります。(2)は江戸時代に書かれた資料の復刻版で、雪の島の詳細が記されています。(3)は目次の後ろに略地図があります。


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑪
[Q]長崎県で最初に映画が上映されたのは「いつ、どこで」だったのでしょうか。

[A]長崎で最初の映画(活動写真、シネマトグラフ)として上映されたのは、長崎市鍛冶屋町の八坂神社で、1897(明治30)年5月21日です。映画の内容は不明です。

【参考になる資料】
『長崎市史年表』
【長崎市史年表編さん委員会 編/長崎市役所 刊行/1981年/219-01ナガ】
『長崎市制六十五年史 前編』
【長崎市役所 編/刊行/1956年/219-01ナガ】
『長崎浜の町繁昌記』
【田栗奎作 著/浜市商店連合会 刊行/1983年/219-01ナガ】
『市制百年 長崎年表』
【市制百年長崎年表編さん委員会 編/長崎市役所 刊行/1989年/219-01シセ】
『長崎市制五十年史』
【長崎市役所 編/藤木博英社 刊行/1939年/219-01ナガ】
『長崎県警察史 上巻』
【長崎県警察史編集委員会 編/長崎県警察本部 刊行/1976年/317-00ナガ-1】
『日本映画発達史Ⅰ 活動写真時代』
【田中純一郎 著/中公文庫 刊行/1975年/778.2-タ-1】


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑫
[Q]孫文に出会った人物として九州日之出新聞記者の田中侍郎のことが知りたい。

[A] 生没年は不詳ですが、群馬県出身で陸軍大尉となるが軍を辞め、朝鮮問題に関与するようになりました。1894年甲午農民戦争に鈴木天眼や内田良平らと「天佑侠」を組織して参加。同年6月鉱山でダイナマイトを強奪したり、甲午農民戦争で反乱者として処刑される全+t準の牢に近づき脱出を勧めたこともあるようです。長崎で病没したとされます。

【参考になる資料】
『歴史評論№295』「辛亥革命と鈴木天眼-一人の対外硬論者の対応-」
【栃木利夫 著/歴史科学協議会 編/校倉書房 刊行/1974年/289-01ステ】
『国士内田良平 その思想と行動』
【内田良平研究会 編/展転社 刊行/2003年/289.1-ウ-03】
『異端の民衆反乱 東学と甲午農民戦争』
【趙景達 著/岩波書店 刊行/1998年/221.0-チ】
『東亜先覚志士記傳 黒龍会編 上・下』
【黒龍会 編/原書房 刊行/1966年/210.6-KO49-1】


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑬
[Q]現在刊行されている「島原天草一揆」に関する資料がありましたら教えてください。

[A] 島原天草一揆について、2000年以降出版の関係資料を挙げてみます。

【参考になる資料】
『<江戸>の人と身分6 身分論をひろげる』
【大橋幸泰 編/吉川弘文館 刊行/2011年/210-00エド】
『平戸オランダ商館日記 近世外交の確立 講談社学術文庫』
【永積洋子 著/講談社 刊行/2000年/210.5-ナ】
『天草・島原の乱 徳川幕府を震撼させた120日 八代の歴史と文化12 』
【八代市立博物館未来の森ミュージアム 編/刊行/2002年/219-13アマ】
『東洋大学文学部紀要第58集』「宗教一揆としての島原の乱」
【神田千里 著/東洋大学文学部史学科研究室 刊行/2005年/198-13シユ】
『原城と島原の乱 有馬の城・外交・祈り』
【長崎県南島原市 監修/新人物往来社 刊行/2008年/219-13ハラ】
『諸記録 諸著から視る 島原・天草の乱』
【江越直記 著/松尾印刷所 刊行/2008年/219-13シヨ】


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑭
[Q]江戸時代、大分で領内の殖産・教育に尽力した山田蘇作という人物が、なぜ長崎で処罰を受けたのか。

[A] 山田蘇作は、もと彭城(さかき)清左衛門という唐通事でしたが、唐人から託された時計と珊瑚樹の密貿易が発覚しました。 清左衛門は逃亡し五島富江に渡り、筆算通弁に優れていたところから五島家に仕えるようになり、山田蘇作と改名しました。 その後五島の鯨漁業の請負について唐大通事であった長崎の神代徳次郎のもとに遣わされましたが変名が露見し、 折りしも神代と因縁のあった西洋砲術家高島秋帆の逮捕に伴い、密貿易者であった蘇作もまた連座することになったのです。 高島とともに江戸に送られましたが豊後立石藩にお預けとなり、客分の扱いを受けましたが、相当の扶持米を付近の農民に貸与したり、農業の普及に尽力したことから、その徳は全藩に及んだとされます。

【参考になる資料】
『長崎叢書 下』「増補長崎略史」
【長崎市役所 編/原書房 刊行/1973年/219-00ナガ-2】
『五島編年史 下巻』
【中島功 著/国書刊行会 刊行/1973年/219-00ゴト-2】
『長崎談叢 復刻版 第23輯~第30輯』第30輯「高島秋帆と唐通事彭城清左衛門」
【増田廉吉 編/雄松堂 刊行/1968年/219.3-N-4】
『唐通事家系論攷』
【宮田安 著/長崎文献社 刊行/1979年/219-01トウ】


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 2 歴史・地理 ⑮
[Q]イチゴ(オランダイチゴ)は江戸時代に、出島に伝来したのでしょうか。

[A] 江戸時代に長崎出島に伝来したことを裏付ける資料を見いだすことはできませんでしたが、以下の資料を紹介します。
『農業技術大系〔加除式〕野菜編3 イチゴ』
【農山漁村文化協会 編/刊行/610.1-N-3】
「栽培イチゴの起源と来歴」基10の2(追録第29号2004年)において、栽培イチゴの渡来が1854(安政元)年より以前であろうと推測されています。
『国指定史跡出島和蘭商館跡 第2分冊 カピタン部屋跡他西側建造物群発掘調査報告書 考察編』
【長崎市教育委員会 編/刊行/2008年/210-01クニ-2】
出島のトイレ遺構における花粉分析でバラ科の花粉を検出したこと。商人部屋跡からキイチゴ属の核を検出したことが記述されていました。
 『長崎居留地 日本の美術 №472』
【国立博物館(東京/京都/奈良/九州)監修/至文堂 刊行/2005年/219-01ナガ】
1ページ(58ページにも白黒図)「蘭館図」『長崎漢洋居留図』の右側花壇に苺の苗らしきものが描かれています。(『長崎漢洋居留図』は神戸市立博物館蔵です。)


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 3 社会科学 ①
[Q]長崎の女子教育のはじまりについて知りたい。

[A]長崎において女子教育のさきがけとなったのは、外国人宣教師たちが設立した
キリスト教系の女学校ですが、簡単に以下にまとめます。

○1872(明治5)年 ヘンリー・スタウト梅香崎で私塾を開設。
[1887(明治20)年 梅香崎女学校となる]
○1879(明治12)年 エリザベス・ラッセル女史が来日、活水女学校を開設。
○1880(明治13)年 「幼きイエズス修道会」の修道女が、聖心女学校を創立。
[1900(明治33)年 清心女学校と改称]
また、明治30年代から40年代にかけ、高等女学校が設立されるようになり、女子教育が発展していきましたが、簡単に以下にまとめます。
○1901(明治34)年 長崎市に県立高等女学校が開設。(授業開始は翌年)
○1911(明治44)年 佐世保高等女学校が開設。
大村・諫早・島原・対馬・五島・口加の実科高等女学校が開設。

 
【参考になる資料】
・『長崎県の教育史』
【 外山幹夫 著 / 思文閣出版 刊行 /1984年11月 / 11-1880 】

・『長崎県教育史』
【長崎県教育会 編 /長崎県教育委員会 刊行 /1976年03月 /11-231-4 】

・『長崎の青春 旧制中学校 高等女学校の生活誌』
【 塚野克己 著 / 長崎文献社 刊行 /1998年2月 / 11-2794 】

・『長崎の女たち』
【長崎女性史研究会 編・著 /長崎文献社 刊行 /1991年06月/13-3610】

その他、各高等学校の周年記念誌など、参考になる資料が数多くあります。


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 3 社会科学 ②(祭礼)
[Q]壱岐の代表的な祭り、行事を教えてほしい。

[A]月ごとに、祭名を紹介します。内容については参考文献をご覧ください。

1月 16日~22日
お経さん (芦辺町 八幡他)

2月(旧暦3月3日頃) 
鬼凧とばし

3月 第3日曜日
春一番 風のフェスタ (郷ノ浦町)

3月 彼岸期間
美濃谷(ミノンタニ)彼岸参り (芦辺町)

4月 第2日曜日
津神社 牛まつり (郷ノ浦町)

5月 第2・4日曜日
八日市・二番市 (郷ノ浦町)

6月 第1日曜日
壱岐サイクルフェスティバル (全島)

7月 第4土・日曜日
郷ノ浦祇園山笠 (郷ノ浦町)

8月 第1土曜日
壱岐大大神楽公演 (石田町筒城浜)

8月 中旬
八幡浦かずら曳き (芦辺町)

9月 初旬
一支国幼児相撲大会 (芦辺町)

10月 10日~14日
聖母宮例祭 御幸(ミイキ)船 (勝本町)

12月 20日
住吉神社例大祭・壱岐神楽

【参考になる資料】
・『長崎県 文化百選 祭り・行事編』
【長崎県 編/長崎新聞社 刊行/1999年/14-3222-5】

・『長崎県 文化百選 壱岐・対馬編』
【長崎県 編/長崎新聞社 刊行/2001年/14-3222-7】

旧芦辺、旧石田、旧勝本、旧郷ノ浦町誌

【参考になるインターネットのサイト】
☆「壱岐市役所」 www.city.iki.nagasaki.jp

☆「壱岐観光協会」www.ikikankou.com

【参考になる施設】
☆「壱岐観光協会」TEL:0920-47-3700


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 3 社会科学 ③(祭礼)
[Q]県内で、ユニークな祭り・行事にどんなものがあるか、知りたい。

[A]回答 月ごとに、紹介します。

1月15日 楠公祭り・畳破り (諫早市白浜町 八幡神社)
 神社本殿入口を畳で塞いでいる所に、氏子のワッカシ(若い衆)の一団が、太鼓の合図で走り込み、入ろうとする者と阻止しようとする者の攻防が行れる。やがて、ワッカシが畳を倒してなだれ込み、その畳を引き裂いてワラを取り出し、お互いの体をこすり合う。こうして、一年間の無病息災を祈願する。
起源は定かではないが、楠木正成の千早城の攻防でワラ人形や投石を使った奇襲攻撃の成功を模したとも考えられている。

1月16日 ヘトマト (五島市 下崎山)(国指定重要無形文化財)
 「ヘトマト」という語源すら明確でない。行事は午後から開始され、相撲・羽つき・玉蹴り・大草履の奉納など、いくつもの異なった出し物が組み合わさって行れる。また、誰かれとなく、ヘンガ(ヘグラ)と呼ばれる鍋墨(スス)を顔に塗って回ることが許されている。
・羽つき 晴着姿の女性が、それぞれ樽の上に立ち、大羽子板で羽をつく。
・大草履 締め込み姿の若い男が十数人がかり持つほどの大きなワラジを、通りに
持ち込み、群衆の中の若い女性を見つけては、その大草履の上に乗せ、 激しく上下に揺さぶる。

旧1月10日 赤米の神事 (対馬市 厳原町豆酘(ツツ)地区)
 古代米の一種とされる赤米の栽培にまつわる稲作儀礼で、年間を通して行れるが、 旧暦1月10日の夜半から翌未明に行れる「神渡り頭(トウ)受け神事」は、民俗行事として特に貴重である。
頭受けは、赤米を祀る当番である「頭」を次の当番に渡す行事で、渡す側「ハライトウ」、受ける側「ウケトウ」双方が和服に裃を付けて、儀礼に基づいて酒宴を行い、赤米の入った俵を受け渡す。この俵は、座敷天井から吊されて保存され、種籾とされる。

2月 節分 子泣き相撲 (平戸市 最教寺)
 平戸藩主に取り憑いた亡霊が赤ん坊の泣き声で退散したという伝説を契機に、大正13年から行れるようになったと言われている。
満1歳未満の赤ん坊が東西に別れ、行司の合図で、早く泣いた方が勝ちという形をとっている。行司に微笑みかける赤ん坊もおり、周囲に笑いが広がる光景が見られる。

3月~4月 ハタ揚げ (長崎市 風頭、金比羅山、唐八景など)
 オランダ国旗のような配色や独特の紋様を付けた、菱形の凧に、ガラスの粉をまぶしたビードロヨマと呼ばれる糸で切り合いする、喧嘩凧のこと。大会も実施されている。江戸時代から行れ、落ちた凧は、拾った者のものにしてよいとされていた。

4月 鳥居くぐり (雲仙市 国見町淡島神社)
 神社境内に、内側縦横1尺(約30cm)の鳥居があり、くぐることで安産・健康(腰が曲がらない)が叶えられるとされている。鳥居くぐりに特定の期日は設定されていないが、春季大祭と桜祭りの頃が、クローズアップされるようになった。

4月9~10日 とんばんさん (西海市 大瀬戸町琴平神社)
 明治13年、樫浦郷に金比羅様を勧請し、琴平神社が設けられた。この場所は
「遠見番所」が置かれていたことに由来して、春季大祭を「とんばんさん」と呼ぶようになった。お下りとお上りの行列に、白塗りにした顔に赤で「金」と書いた奴姿の挟箱の道行きが続き、おどけた仕草が人気を得ている。

8月13日~15日 チャンココ  (五島市 下大津町)
8月14日     オーモンデー ( 〃  三井楽町嵯峨島)
8月14日~18日 ジャンガラ  (平戸市)(国指定重要無形文化財)
  盆念仏踊りで、オネオンデー(五島市富江町)、オーミーデー(北松浦郡小値賀島)、カインココ(佐世保市宇久島)なども同じ系統と考えられる。
名称の由来は、鐘の音(チャン、ジャン)と太鼓の音(ココ、ガラ)からきたものと、 「御盆御礼申し上げる」からきたものと考えられている。
ジャンガラは、浴衣・草履履き・菅笠で顔を隠す・締太鼓を首から下げ臍の位置で叩くなどの特徴があるが、笠を被る・太鼓の位置などは他の踊りに共通している。チャンココ、オーモンデーなどは、腰蓑をつけるところから南方系の習俗とされていた時期があったが、その説は否定されつつある。

10月7日~9日 長崎くんち (長崎市 諏訪神社)
(奉納踊りは国指定重要無形文化財)
  海外貿易の窓口として発展した長崎の富と文化を象徴する祭礼で、370年以上の伝統を有する。天領だった長崎市街に成立した各「町」が、7年に1回奉納踊りを受け持つ。その当番町を「踊町(オドリチョウ)」といい、6月1日の事始(コトハジメ)神事、小屋入りから正式に準備を始め、3日間の晴れ舞台に備え、綿密な練習が行れる。
龍踊(ジャオド)り、オランダ万歳など国際性豊かな出し物が有名であるが、各踊町に伝わる傘鉾(カサボコ)に凝縮された歴史と伝統も見逃してはならない。

10月14、15日 竹ン芸 (長崎市 若宮神社)
  男狐、女狐(双方とも全身白で、白狐の面をつける)に扮した2人の若い男性が、10m以上もある男竹、女竹と呼ばれる青竹の上で、シャギリ(囃子)に合わせて曲芸を行う。この芸能の起源は、神の使いである狐が祭り囃子に浮かれ戯れる様を表現したもので、中国伝来の羅漢踊りという説がある。
1820(文政3)年、八百屋町が諏訪神社に奉納したのに始まると言われている。

(時期不定) 鳥刺し (雲仙市 国見町楠高地区)
  男性が、赤フンドシ(9尺)・白ぬぐいの頬被りだけを身につけ、長竿を持ち、詞に合わせて「鳥刺し」の姿をユーモラスに描く。約200年前、神代鍋島家が京都に行った時、家臣がそこでならい覚えたものと言われている。

【参考になる資料】
・『祭礼事典 長崎県』
【長崎県祭礼研究会 編/おうふう 刊行/1997年12月/13-4637-2】

・『長崎県の民俗芸能』
【長崎県教育委員会 編・刊行/1995年/13-1096-120】

・『長崎県の祭り・行事』
【長崎県教育委員会 編・刊行/2002年07月/13-1096-120】

・『日本の祭り文化事典』
【星野紘 監修/東京書籍 刊行/2006年07月/14-4310】

・『長崎県 文化百選 五島編』
【長崎県 編/長崎新聞社 刊行/1995年/14-3222-2】

・『長崎県 文化百選 祭り・行事編』
【長崎県 編/長崎新聞社 刊行/1999年/14-3222-5】

旧福江市史、旧厳原、国見町誌


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 3 社会科学 ④(教育)
[Q]長崎県内のPTA活動の歴史について知りたい。

[A]昭和22年4月、学制改革により6・3制の義務教育がスタート、翌23年4月には新制高等学校が発足しました。この昭和22~23年にかけて米国の指導によってPTAが急速に普及し、長崎県においてもPTA連合会結成の気運が高まり、昭和24年9月に社会教育団体として発足しました。
昭和27年に「日本父母と先生の会全国協議会(日本PTA全国協議会)」に加入しました。
昭和34年、県教育委員会と共催による第1回長崎県PTA研究大会を平戸市で開催し、以後毎年開催されています。
昭和38年、機関紙として「県P連会報」第1号発行。
昭和39年、新興善小学校(現 桜町小学校)に専用事務局が設置され、常勤事務局長をおきました。
以上のようなことが、本県PTA活動の黎明期と言えます。

【参考になる資料】
・『30年の歩み 次代をになう子どもたちを見つめて』
【長崎県PTA連合会 刊行/1979年11月/11-1544】
 「長崎県PTA連合会創立30周年記念誌」という副題あり

・『道』
【長崎県PTA連合会 刊行/2000年02月/11-1544-2】
 「長崎県PTA連合会発足50周年記念誌」という副題あり

・『長崎市PTA連合会発足50周年記念誌 50年歩みの記録』
【長崎市PTA連合会 刊行/2000年02月/11-2917】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎県PTA連合会」 http://www1.cncm.ne.jp/~pta-naga


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑤(教育)
[Q]最近映画になった大村出身の石井筆子(いしいふでこ)について知りたい。

[A]1861(文久元)年大村市生まれの教育者。幼少から英語、フランス語、 オランダ語に堪能で、1880(明治13)年から2年間フランスに留学しています。
帰国後、華族女学校にフランス語教師として勤務、同僚の英語教師には津田梅子が、また教え子には後の大正皇后(貞明皇后)がいました。
学校で教鞭を執るかたわら、女性の社会参加と自立のため、「大日本婦人教育会」の設立に尽力し、女子教育の普及に力を注ぎました。
1885(明治18)年、津田梅子とともにアメリカで開催された「婦人倶楽部万国大会」に出席しています。
1903(明治36)年、障害児教育施設である滝乃川学園の創始者・石井亮一(佐賀県出身)と結婚、夫とともに知的障害児の教育と福祉に生涯を捧げました。
出身の大村市では市制施行60周年を記念し、筆子の功績を顕彰した展覧会やシンポジウムが開かれ、さらに、映画『筆子・その愛ー天使のピアノ』やドキュメンタリー映画『無名の人石井筆子の生涯』が公開されるなど、近年その存在が注目されている郷土の偉人です。1944年(昭和19年)没。

【参考になる資料】

・『石井筆子の生涯 近代を拓いた女性-いばら路を知りてささげし』
【大村市・石井筆子顕彰事業実行委員会 刊行 /2002年7月 / 13-6000】

・『無名の人 石井筆子 “近代”を問い歴史に埋もれた女性の生涯 』
【一番ケ瀬康子 編 / ドメス出版 刊行 / 2004年3月 / 13-6025】

・『石井筆子 シリーズ福祉に生きる』
【津曲裕次 編著 / 大空社 刊行 / 2001年11月 / 289.1イ】

・『筆子その愛 世界で一番美しい涙の物語』
【山田火砂子 著 / ジャパン・アート出版 刊行 / 2006年12月 /12-3305】

・『天使のピアノ 石井筆子の生涯 』
【真杉章 文 /ネット武蔵野 刊行 /2001年2月 / 13-6060】

・『増補 石井亮一全集 第4巻 石井亮一と滝乃川学園』
【津曲祐次 解説 / 大空社 刊行 / 1992年5月 / 370.8イ-4】

【参考になるインタ-ネットのサイト】

☆「社会福祉法人 滝乃川学園」
http://takinogawagakuen.cocolog-nifty.com/homepage/


掲載日:2007年6月11日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑥
[Q]長崎の原爆被害に関して調べたい。

[A]以下の資料をおすすめします。

①『長崎原爆戦災誌』長崎市役所 編/長崎国際文化会館 刊行/全5巻です。
・第1巻 総説編 【1977年/14-2031-1】
・第2巻 地域編 【1979年/14-2031-2】
・第3巻 続・地域編 終戦前後編 【1985年/14-2031-3】
・第4巻 学術編 【1984年/14-2031-4】
・第5巻 資料編 【1983年/14-2031-5】
なお、第1巻の改訂版【長崎原爆資料館 編/長崎市 刊行/2006年03月/14-2031.2-1】が、出されています。

 第1巻は、「日中戦争と長崎」、「原爆前の空襲」、「昭和二十年八月九日」などの項目があり、「被害状況」、「県内外の救援活動」、「国際文化都市の建設」などの記述があります。
第2巻は、市内各地を町・郷ごとに「町のあらまし」、「疎開」、「防衛体制」、「被爆の惨状」、「被爆後の生活」などについて、記述されています。
第3巻の、前巻続編部分は「第二次焼失」、「焼失地域以外の市内の被爆状況」、「郡部の被害状況」、「原爆下の外国人」などについて、記述されています。終戦前後編部分では、「肉親捜索」、「各警防団の活動」、「医療救護活動」、「進駐軍と長崎」、「学校の動き」、「被爆工場の復旧と転換」、「長崎医科大学等の変遷と復 興」などについて記述されています。
第4巻だけは横書きで、「原子爆弾の物理的破壊」、「人体に対する障害」、「社会生活への影響」、「被災の調査研究」、「被爆者に対する医療・福祉施設」などの記述があります。
第5巻は、「陸・海軍の防衛体制と民間防空」、「原爆以前の空襲に関する調査報告」、「原爆直後の速報」、「三菱系四工場の報告と記録」、「警察官・赤十字看護婦などの救援活動体験記」、「新聞報道等」、「復興と慰霊祭」、「米国軍部書簡その他の参考記録」、「気象記録」などの記述があります。

②『ナガサキは語りつぐ 長崎原爆戦災誌』
【長崎市 編/岩波書店 刊行/1991年07月/14-2877】
この本は、全5巻の『長崎原爆戦災誌』を中高生向けに編集しなおしたダイジェスト版とされています。

③『原子爆弾災害調査報告書 総括編』 【1951年/15-119-1】
『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』 【1953年/15-119-2-1】
『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』 【1953年/15-119-2-2】
 この資料は、原子爆弾災害調査報告書刊行委員会 編、日本学術会議 刊行で、理工学・生物学・医学など多方面の論文が収められています。

④『長崎医大原子爆弾救護報告』
【朝日新聞社 編・刊行/1970年/15-287】
この本は、故永井隆博士がまとめた『原子爆弾救護報告』全文で構成されています。前半部分は旧長崎医科大学の用箋に永井博士が綴った直筆原稿全文の印影(一部代筆あり)、後半部分にその翻刻が収められています。

⑤『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』
【仁科記念財団 編/光風社書店 刊行/1973年/15-327】
仁科芳雄博士は、湯川秀樹や朝永振一郎を指導した原子物理学者として有名ですが、昭和20年8月8日には広島、同14日には長崎の被害状況を調査されています。
この本には、多くの写真と200ページ以上に及ぶ調査記録が収録されてい ます。

⑥『医師の証言 長崎爆弾体験』
【調来助・吉澤康雄 著/東京大学出版会 刊行/1982年/15-575】
この本の内容は、以下の3つに大別されます。
1「医師として原爆体験・原爆医療を語る」(話し手/調来助(シラベライスケ)、聞き手/吉澤康雄)
2「長崎原爆被災 医師の日誌」調来助 著(『世界』1979年9・10月号より転載)
3「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)」調来助 著(長崎医大外科第一教室教授の時、英文でまとめた論文で、当時未発表)

⑦『長崎原爆の記録』
【泰山弘道 著/あゆみ出版 刊行/1984年/15-631】
著者は、被爆当時、大村海軍病院院長として、多くの被災者を診断されました。故永井博士の勧めで執筆を決意されたそうです。診察した患者の写真も多く収められてられています。

⑧『長崎原爆被爆50年史』
【長崎市原爆被爆対策部 編・刊行/1996年03月/14-3448】
原爆被害に関するだけでなく、被爆者援護に関する法令整備、慰霊事業、関連施設、50周年記念事業などについての記述が豊富です

⑨『広島および長崎における原子爆弾放射線被爆線量の再評価 上・下巻』
【放射線影響研究所 編・刊行/2006年03月/15-1500-1、15-1500-2】
日米の共同研究により、まとめられた詳細な資料です。

⑩『原爆放射線の人体影響1992』
【放射線被曝者医療国際協力推進協議会 編/文光堂 刊行/1992年03月/15-792】
主として広島で、被爆者の医療・健康管理に携わっておられる研究者によって執筆されています

【参考になる資料】
・『被災地復元図』(原爆被災復元事業報告書 別冊)
【(旧)長崎市国際文化会館 編・刊行/1975年03月/16-358-1】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎原爆資料館」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/index.html

☆「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」
http://www.peace-nagasaki.go.jp

*なお、本館3階にも原爆関連図書のコーナーを設け、文献リストも整備しております。


掲載日:2007年6月11日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑦(教育)
[Q]長崎県へ修学旅行へ行きます。参考になる資料はありますか。

[A]一般に出版されている旅行ガイドブック等も参考になるとは思いますが、修学旅行に焦点を絞ったものとして下記のような資料があります。

・『旅なび 修学旅行フリータイムガイドブック 長崎・島原・雲仙・平戸・
 佐世保・五島列島・壱岐・対馬』
【ひでみ企画 編集・刊行/2003年02月/13-5566】

・『長崎修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう 』
【平和・国際教育研究会 編集/平和文化 刊行/2002年05月/319.8-ナ-02】

・『事前に調べる修学旅行パーフェクトガイド 九州・沖繩』
【日本修学旅行協会 監修/金の星社 刊行/2003年03月/291.0-ジ-03】

・『楽しい修学旅行ガイド 最新版 グループ見学のプラン作りに
 役立つ長崎/福岡・佐賀・阿蘇』
【日本修学旅行協会 監修/学研 刊行/2003年03月/291.0-タ-03】


長崎県の文化と自然を体験するには、下記のような資料があります。
・『 上五島秘境の島体験 修学旅行・研修旅行・総合学習・環境学習・
カルチャ-セミナ-』
【上五島広域観光協会 編集・刊行/13-6238】

・『オーライ!長崎 平成18年版 長崎県で新しい感動を見つけよう!!』
【「都市と農山漁村の共生・対流」長崎県協議会 編集・刊行/2006年11月/17-/2739】

・『長崎発見 第2巻第1号~第6巻第8号(最終号)/平成14年6月~同18年3月 旬の長崎体験情報誌』
【長崎県観光連盟 編集・刊行/19-2535】

・『るーらる長崎 グリーンツーリズムガイドブック』
【長崎県グリーン・ツーリズム推進協議会 刊行/2005年/13-5483-5】


他県から訪れた修学旅行生の記録集も寄贈いただいています。
・『長崎 ’90修学旅行分散・学習・研究レポート集』
【四日市高等学校修学旅行委員会 刊行/1991年/11-2265 】
三重県四日市市の学校です。

・『二年修学旅行報告集 2003 長崎班研修の記録』
【椙山女学園高等学校2年 編/椙山女学園高等学校 刊行/11-2839】
愛知県名古屋市の学校です。数年分所蔵しています。

*県外の方も、お近くの図書館に所蔵している資料もあると思われます。
また、お近くの図書館を通じて、県立長崎図書館の資料を借りることもできます。

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「ながさき修学旅行ナビ」(社)長崎県観光連盟
http://www.nagasaki-tabinet.com/snavi/theme/01/

☆「修学旅行のための長崎ガイド」長崎市さるく観光推進課
http://www.at-nagasaki.jp/syugaku/

☆「修学旅行情報センター」財団法人全国修学旅行研究協会
http://shugakuryoko.com/sanjo/gakushu/nagasaki-kankou/index.html
http://shugakuryoko.com/kankyo/kankyo_0021.html
http://shugakuryoko.com/kankyo/kankyo_0022.html
http://shugakuryoko.com/kankyo/kankyo_0024.html
http://shugakuryoko.com/kankyo/kankyo_0025.html


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑧
[Q]毎年長崎市で開催されている「長崎帆船まつり」の写真集は、ありますか。

[A]「長崎帆船まつり」の写真集は出版されていません。一部ではありますが、 参加帆船が掲載された資料を紹介します。

・『帆船日本丸』
【中村庸夫 著/読売新聞社 刊行/1984年/552.7-N】

・『最新世界の帆船 』
【中村庸夫 著/ 平凡社 刊行/1992年/ 556.7-ナ】

・『世界の帆船』
【アブランソン 解説/ たちばな出版 刊行/1996年04月/ 552.7-ビ】

・雑誌『ラメール』
【日本海事広報協会 編集・刊行/1983年11月号、1992年7月号】

・雑誌『アサヒグラフ』【朝日新聞社 編集・刊行/1988年4月22日号】

・雑誌『船と海のサイエンス』【舵社/2002年秋季号】

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎帆船まつり実行員会」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/hansen/


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑨
[Q]長崎市が、米国セントポール市と姉妹都市の提携をした時、占領中だったせ
いか、当時の田川務市長は、米国での調印式に参加できなかったと聞いた。その
辺りの事実関係を知りたい。

[A]『市制百年 長崎年表』に以下のようにあります。
1955(昭和30)年9月30日
 長崎市議会全員協議会、田川市長の米国ミネソタ州セントポール市訪問を承認(デロン市長から姉妹都市提携のため招待があり、田 川市長は渡米を決意)
 田川市長は10月24日行われる縁結びの式典参列のため準備を進めたが、外貨割り当てが許可されず、渡米は一時見送った(31年8月渡米)

同12月7日
 長崎市と米国のセントポール市が姉妹都市となる。
 (わが国における姉妹都市提携1号)
 (30年10月国連デーを期し、セントポール市で結成式を挙行)
 (30年12月7日セントポール市議会で両市の提携を可決し、長崎市にお
  いても市議会全員の賛同を受け、ここに正式に成立した。)

 サンフランシスコ講和会議の調印は、1951(昭和31)年9月8日、その条約発効は翌4月28日で、日本は未だ独立を回復していませんが、渡米できなかった原因は、経済的な問題であったと言えます。当時の大蔵省は、他の都市からも申請が出て、渡米が増えることを心配していた旨、新聞に掲載されていました。

 『市制百年 長崎年表』の1956(昭和31)年8月の項を見ても、田川市長の渡米に関する記載がありませんでした。
 1955(昭和30)年9月30日長崎市議会全員協議会後以降の、本館所蔵「長崎日日新聞」、「長崎民友新聞」を調べたところ、以下のような見出しの記事を見出しました。
(12月の新聞には、姉妹都市に関する記事を見出すことはできませんでした。)

・「長崎日日新聞」
  10月1日  2面 田川市長の渡米承認
  10月2日  2面 長崎出発は十五日
  10月12日 5面 田川長崎市長の渡米お預け
  10月16日 2面 なお一縷の望み

・「長崎民友新聞」
  10月1日  1面 田川市長の渡米きょう協議
  10月2日  1面 田川市長の渡米決る
  10月5日 1面 田川市長渡米を前に相つぐ朗報
  10月11日 3面 おみやげは平和像
  10月12日 1面 滞在日数は十日間
  10月13日 1面 渡米望みなきに非ず
  10月14日 1面 市長渡米なぜ許可せぬのか


 『広報 ながさき ダイジェスト・縮刷版』の1955(昭和30)年~1956(昭和31)年を調べたところ、以下のような記事を見出しました。
1956(昭和31)年10月号
<1面>「帰任ごあいさつ」
  8月22日羽田出発、セントポール市・シカゴ・ニューヨーク・サン
 フランシスコ・ハワイ等訪問、9月25日帰崎とあります。

<2面>「市長渡米報告」(全面に記載)
  「セントポール市とミネソタ州農業博覧会の御招待を受けて」と
 あります。

 なお、1956(昭和31)年8月の「長崎日日新聞」、「長崎民友新聞」によると、当初8月17日長崎出発の予定だったが、台風上陸で18日出発に変更されたとありました。
 『抄伝 田川務』には、該当する記述はありませんでした。

【参考になる資料】
・『市制百年 長崎年表』
【長崎市 編・刊/1989年/219-01シセ】

・『広報 ながさき ダイジェスト・縮刷版』
【長崎市 編・刊/1989年/318-01コウ】

・『長崎日日新聞』【19-135-1】

・『長崎民友新聞』【19-73】


掲載日:2008年12月1日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑩
[Q]明治十年代、政府が派遣した「巡察使」が、長崎県に派遣されたらしい。誰が
派遣されたのか。その報告書は刊行されているのか。

[A]『地方巡察使復命書 明治15・16年 上巻』に、2人の復命書が
掲載されています。
1 「明治十五年 地方巡察使復命書 四」渡辺昇(参事院議官)
  九州地方巡察の復命書に、本県の事項が掲載されています。

2 「明治十六年 地方巡察使復命書 三」山尾庸三(参事院議官補)
  四国・九州地方巡察の復命書に、本県の事項が掲載されています。

 尾崎三良(参事院議官)が、明治18年九州地方巡察を命ぜられ、本県を訪れています。
復命書自体の掲載はありませんが、以下の資料に、当時の本県各地の様子が記述されています。

①『尾崎三良自叙略伝 中巻』
  日付入りの詳細な紀行が、掲載されています。本県関連の主な旅程は以下のとおりです。
  3月28日 海路横浜・神戸を経て来崎。以後、長崎市・諫早・大村巡察。
  4月6日  海路長崎発、鹿児島へ。以後、宮崎・大分・福岡巡察。
  6月28日 海路博多発、来崎。以後、対馬・五島・島原・壱岐・平戸巡察。

②『尾崎三良日記 上巻』
  上記の旅程が、日記形式で更に詳しく記載され、各地の様子も窺うことができます。
  『同 下巻』の年譜によると、明治15年沖縄県巡察の帰途、「時宜により長崎熊本巡回の命を受ける」とありますが、実施されていないようです。
  上記①に、沖縄県巡察(明治15)の帰途、熊本県百貫石から長崎・神戸経由で横浜に帰港した旨、記述されています。(11月8日長崎着)
  沖縄県巡察の復命書は、『地方巡察使復命書 明治15・16年 上巻』に掲載されています。

 なお渡辺昇は大村出身ですが、その兄清は、明治16年の滋賀・石川・富山・新潟・群馬・埼玉・長野各県巡察を命ぜられ、その復命書も『地方巡察使復命書 明治15・16年 上巻』に記載されています。

【参考になる資料】
・『地方巡察使復命書 明治15・16年 上巻』
【我部政男 著/三一書房 刊/1980年/210.6-G-1】

・『尾崎三良自叙略伝 中巻』
【尾崎三良 著/中央公論社 刊/1977年/289.1-オ-2】

・『尾崎三良日記 上巻』、『同 下巻』
【尾崎三良 著/中央公論社 刊/1991年/312.1-オ-1、同-3】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「国立公文書館デジタルアーカイブ」
http://www.digital.archives.go.jp/


掲載日:2009年3月26日

■項目:郷土 3 社会科学 ⑪
[Q]長崎中学校の学友会雑誌より、以下の年度の修学旅行参加者数を知りました。当時の在籍生徒数を教えてください。
①明治43年10月 参加者数 5年70名 4年180名
②明治44年10月 参加者数 5年80名 4年94名

[A]以下の資料において、長崎中学校の学年ごとの生徒数が記載されていました。
『長崎県学事年報 明治41年』【長崎県 刊行/1910年/14-14-6】
 第1学年 136人 第2学年 126人 第3学年 125人 第4学年 98人 第5学年 87人
『長崎県学事年報 明治42年』【長崎県 刊行/1911年/14-14-6】
 第1学年 120人 第2学年 132人 第3学年 123人 第4学年 104人 第5学年 77人
『長崎県統計書 明治43年』【長崎県 刊行/1912年/14-9-1】
 第1学年 131人 第2学年 120人 第3学年 113人 第4学年 130人 第5学年 78人
『長崎県統計書 明治44年』【長崎県 刊行/1913年/14-9-1】
 第1学年 120人 第2学年 127人 第3学年 114人 第4学年 109人 第5学年 109人


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 4 自然科学 ①
[Q]雲仙に生息する動植物について知りたい。

[A]生物学の各分野で、資料がまとめられています。

・『雲仙岳の生物』
【長崎県生物学会 編/長崎新聞社 刊行/2006年10月/15-1502】

・『雲仙・長崎の自然』
【外山三郎 著/六月社 刊行/1996年/13-1345】

・『楽しい自然とのふれあい 自然公園利用ガイドブックパートⅢ』
【長崎県保健環境部自然課 編・刊行/1993年03月/15-751-3】

・『グリーンデータ 自然環境ガイドブックシリーズ 「太良山系・雲仙山系周辺」』
【長崎県保健環境部自然課 編・刊行/1993年03月/15-1093-3】

・『雲仙・原生沼の研究』
【伊藤秀三 編/長崎県環境部 刊行/1980年/15-555】

・『長崎県の生物』
【長崎県生物学会 編・刊行/1989年/15-715】

・『雲仙天草国立公園雲仙地域 自然解説マニュアル』
【雲仙パークボランティア協議会 編・刊行/2006年/15-1470】
先の雲仙普賢岳災害に関する刊行物も、数多く所蔵しています。1990(H2)年~1998
(H6)年6月までの、新聞記事スクラックブックの所蔵もあります。

【参考になるインターネットのサイト】
☆「雲仙お山の情報館」 http://www.dango.ne.jp/unzenvc

☆「雲仙岳災害記念館」http://www.udmh.or.jp

☆「平成新山ネイチャーセンター」http://www12.ocn.ne.jp/~hnc/

☆「雲仙観光協会」 http://www.unzen.org

【参考になる施設】

☆「雲仙お山の情報館」(Tel 0957-65-5555)

☆「雲仙岳災害記念館」(Tel 0957-73-3636)

☆「平成新山ネイチャーセンター」 (Tel 0957-63-6752)


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 4 自然科学 ②
[Q]植物学者;外山三郎氏の著作を読みたいので、教えてほしい。

[A]外山氏は、1901(明治34)年福岡県朝倉市(旧杷木町)生まれ、広島高等師範学校附設第二臨時教員養成所博物科卒業後、県立瓊浦中学校・県立女子師範学校等で教鞭をとり、戦後、長崎大学・活水短大の教授を務められました。この間、原爆の植物に及ぼしたる影響調査委員、ツュンベリー顕彰碑建設委員長、西海国立公園と壱岐国定公園指定前の基礎調査等の重責を全うされました。新植物の発見は30以上にのぼり、長崎新聞文化章、西日本文化賞、勲三等旭日中授章などを受けておられます。
 1962(昭和37)年4月25日(雲仙)、1969(昭和44)年10月27日(福江島鐙瀬(アブンゼ))、同30日(平戸黒子島)の昭和天皇、皇后ご散策の際は、ご先導の大役を果たされています。
 1963(昭和38)年4月9日、オランダのベトリクス王女が県立長崎図書館を訪問、記念植樹をされましたが、サザンカの選定は外山氏の案が採用されたものです。

【参考になる資料】
・『雲仙・長崎の自然』
【六月社 刊行 /1996年/13-1345】

・『西海国立公園候補地の植物 五島・平戸・九十九島及佐世保近郊の植物』
【長崎県 編・刊行 /1952年02月/17-436-1】

・『草木歳時記』
【八坂書房 刊行 /1976年/15-383】

・『長崎県植物誌』
【長崎県理科教育協会 刊行 /1980年/15-13-4】

・『長崎県の天然記念物』
【長崎県理科教育協会 刊行/1985年/15-276-2】

・『長崎県の野生植物 草木編1・2』
【長崎県生物学会 刊行 /1983年/15-608-1】
【長崎県生物学会 刊行 /1985年/15-608-2】

・『花草木 長崎県の自然』
【長崎県理科教育協会 刊行 /1971年06月/15-326】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎県生物学会」 http://park.geocities.jp/gbhtt018

【参考になる施設】
☆「大村神社」 大村市玖島1丁目
1941(S16)年外山三郎氏が発見し、1967(S42)年国の天然記念物に指定されたオオムラサクラがあります。


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 4 自然科学 ③
[Q]長崎県内で発行されている「レッドデータブック」(絶滅が危惧されている野生動植物が紹介されている本)について、教えてほしい。

[A]長崎県内で刊行されている「レッドデータブック」は、以下のとおりです。

・『ながさきの希少な野生動植物 ~ レッドデータブック2001』
【長崎県県民生活環境部自然保護課 編・刊/2001年3月/462-00ナガ】

・『 同 (普及版)』【 同 編・刊/462-00レツ】

・『長崎市レッドデータブック ~ 長崎市の保全すべき野生動植物』
【中西弘樹 編/長崎市環境部環境保全課 刊/2002年4月/15-1234】

・『佐世保市レッドデータブック2002年 ~ 佐世保の希少な野生動物植物』
【佐世保市環境部環境保全課 編・刊/2002年12月/15-1341-1】

・『 同 (普及版)』【同 編・刊/15-1341-2】

・『佐世保市(吉井・世知原地区)レッドリスト』佐世保市環境部環境保全課 編・刊/
【2007年4月/462-02サセ07】(同資料には五十音順もあります)

「レッドデータブック」ではありませんが、以下の資料は、絶滅危惧種に関する詳細な記述が掲載されて います。

・『絶滅危惧種ツシマヤマネコ』【久田雅夫 著/風人社 刊/1992年/15-786】

・『希少野生動植物種 保護増殖事業報告書 平成11年度 ツシマヤマネコ』
【長崎県 編・刊/20003年/15-1282】

・『国境の島に生きる 対馬の野生たち』【浦田明夫 著/昭和堂 刊/1993年/15-1012】

・『ツシマヤマネコ 』【浦田明夫 著/上県町役場 刊/489.5-ウ】

・『ツシマヤマネコ(ろうきんブックレット14)』
【ツシマヤマネコBOOK編集委員会 著/九州労金長崎県本部 刊/2003年/489.5-ツ-03】

・『ツシマヤマネコ保全計画づくり国際ワ-クショップ 最終報告書』
【対馬野生生物保護センター 編・刊/2006年/15-1505】

・「ヤマネコだより」【ツシマヤマネコを守る会会報編(1995年8月~)/ 15-1025】

・『長崎県の両性・爬虫類』【松尾公則 著/長崎新聞社 刊/2005年2月/487-00ナガ】

・『大村湾再発見ガイドブック』
【長崎県県民生活環境部自然保護課 編/長崎新聞社 刊/20007年/452-00オオ】

・「スナメリかわら版」(大村湾に関する環境情報誌)
【長崎県環境政策課 編・刊(2004年4月~)/16-931】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎県環境部自然環境課」 http://www.pref.nagasaki.jp/sizen/


掲載日:2008年5月21日

■項目:郷土 4 自然科学 ④
[Q]シーボルトがヨーロッパで出版した『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』に掲載されているアジサイの図をカラーで見たい。

[A]『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』は1976年に復刻されていますが、本館には所蔵がありませんので、以下の資料を紹介します。

・『シーボルト「フローラ・ヤポニカ」 日本植物誌』
【木村陽二郎 解説/八坂書房 刊/2000年/472.1-シ】

・『花に魅せられた人々 発見と分類』
【大場秀章 著/農山漁村文化協会 刊/2005年/15-1414】

 次の資料には、カラーの図は掲載されていませんが、シーボルトによるアジサイの解説文が記されています。

・『シーボルト 日本植物誌 本文覚書篇』
【大場秀章 監修/八坂書房 刊/2007年/472.1-シ-07】
 上記の八坂書房 刊/2000年 に対応するものです。

・『植物学とオランダ』
【大場秀章 著/八坂書房 刊/2007年/293.5-オ-07】
 「シーボルトとアジサイ」という項が、設けられています。


 その他、関連する資料として、以下のものを紹介いたします。
・『シーボルトの21世紀』
【大場秀章 著/東京大学出版会 刊/2003年/472-99シボ】
 ライデン大学国立植物学博物館から東京大学総合研究博物館に寄贈された、植物標本展示会の図録で、シーボルト採集のアジサイおしば標本が、カラー写真で掲載されています。

・『シーボルト旧蔵 日本植物図譜展』
【大場秀章 監修/アートライフ 刊/1995年/470-シ】
『フローラ・ヤポニカ』の原画の内、ロシアのコマロフ植物研究所に所蔵されていた原画の「里帰り展示会」の図録です。このコレクション中の「アジサイ」は、彩色される前の原画で、モノクロです。
川原慶賀・清水東谷など、作者別に図が配列されています。

【参考になるインターネットのサイト】
☆「シーボルト記念館」 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/siebold/


掲載日:2008年7月11日

■項目:郷土 4 自然科学 ⑤
[Q]江戸時代におけるツル類に関する記述のある資料を教えてほしい。

[A]江戸期の資料として翻刻されたもの
『甲子夜話4』巻之五十(二) 「…壱岐に鶴の渡り来る…」
 【松浦静山 著/平凡社 刊行/2006年/914-06マセ-1-4】
 『 〃 続編2』巻之十六(二) 「…永井飛州の邸に往しに、庭中二鶴を畜ふ。」
【松浦静山 著/平凡社 刊行/2007年/914-06マセ-2-2】
 『 〃 続編2』巻之十七(一) 「…鶴は霊鳥なり。…雄ツルウと鳴と言ふ。」
【松浦静山 著/平凡社 刊行/2007年/914-06マセ-2-2】
 『 〃 続編3』巻之三十三(一) 「…御宮参りの日は、鶴ありて晴霄を飛鳴し…」
【松浦静山 著/平凡社 刊行/2007年/914-06マセ-2-3】
 『 〃 続編5』巻之五十七(四) 「…本庄押上村に宅す。…鶴も来れるを…」
【松浦静山 著/平凡社 刊行/2007年/914-06マセ-2-5】
 『 〃 続編5』巻之六十四(三) 「…伊東主膳が御場内にて鶴を打しことを…」
【松浦静山 著/平凡社 刊行/2007年/914-06マセ-2-5】
 考古資料として
『国指定史跡出島和蘭商館跡 南側護岸石垣発掘調査・修復復元工事報告書 第1分冊』
ツル科の遺体(マナヅルと同大)、サギ科の遺体(ダイサギとアオサギの中間大)など


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 4 自然科学 ⑥
[Q]1911(明治44)年県営雲仙公園が開設されたころの図面や文章などはどこにありますか。

[A]雲仙公園事務所にあった古い史料の一部は本館に所蔵しています。1984年に新事務所ができた際に本館に移管されたものです。 「雲仙公園事務所旧蔵資料」として291件、「旧雲仙公園事務所資料」として93件あります。 各資料についてはインターネットの本館ホームページから検索することができます。  本館HP→「資料を探す」→「蔵書検索(県立図書館)」→「書名」に〔雲仙公園事務所旧蔵資料〕および〔旧雲仙公園事務所資料〕と入力。  また、同じくHPの「郷土ライブラリー」の「近現代資料」において、雲仙関係資料の概略と資料例が見られます。


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 5 技術 ①
[Q]三菱長崎造船所の創業の時期と創業者を知りたい

[A]創業の時期と創業者は以下のとおりです。

○ 1857年 【 創業年 】
同所の前身である「長崎溶鐵所」(後に、長崎製鉄所と改称)の建設が始まる。

・ 1861年 「長崎溶鐵所」落成。

・ 1868年 官営となる。

・ 1884年 三菱社が事業を引き受け、「長崎造船所」と改称。

・ 1887年 三菱社が工場・施設等を政府から払い下げを受ける。

○ 初代社長は岩崎彌太郎氏です。

【参考になる資料】

 企業には、その企業の沿革を知ることのできる資料として、社史(社誌)があります。三菱長崎造船所に関するものは数多く刊行され
ており、次の資料で詳しく調べることができます。

・『創業百年の長崎造船所』
【 三菱造船株式会社 編・刊行 / 1957年10月 / 17-424 】

・『三菱重工業株式会社史』
【 三菱重工業社史編纂室 編 / 三菱重工業株式会社 刊行 / 1956年 / 17-2614 】

・『三菱日本重工業株式会社史』
【 三菱重工業株式会社 編・刊行 / 1967年06月 / 17-1081-1 】

・『新三菱日本重工業株式会社史』
【 三菱重工業株式会社 編・刊行 / 1967年06月 / 17-1081-2 】

・『三菱の百年』
【 三菱創業百年記念事業委員会 編・刊行 / 1967年 / 17-860 】

・『岩崎彌太郎伝 上・下』
【 岩崎彌太郎・岩崎彌之助 伝記編纂会 編・刊行 / 1967年11月 / 13-1422-1~2 】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「三菱重工業株式会社 長崎造船所」http://www.mhi.co.jp

【参考になる施設】
☆「三菱重工業株式会社 長崎造船所 史料館」 Tel095-828-4135


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 5 技術 ②
[Q]佐世保の骨董品店で「人和自然?」らしい銘の入った焼き物を見た。明治期の作で、欄間に使う平たいもので、額に入っていた。作者を探す手がかりがあるか。

[A]当館所蔵、以下の①②の資料では、手がかりを見出すことはできませんでした。

①『原色陶器大辞典』
【加藤唐九郎 編/淡交社 刊行/1972年/751 KA86 】

②『最新現代陶芸作家事典』
【光芸出版編集部 編/光芸出版 刊行/1987年/751.1 サ】

・『近現代肥前陶磁器銘款集』
【佐賀県立九州陶磁器文化館 編・刊行/2006年06月/16-938】に
以下のような記載を見出しました。

<P48>No.55
窯 名  金武一二(かずに)
代表者  同上
住 所  佐賀県有田町
銘種類  和仁、自然
解 説  染付絵師、明治45年生れ、平成12年没。

現代日本の名工に選ばれ、勲六等瑞宝章授章。 後年「自然(じぜん)」銘を使うが、晩年は同銘を「自然(じねん)」と呼ばせた。 (「和仁」銘の白黒写真が掲載されています。)

 『近現代肥前陶磁器銘款集』の凡例に、同資料の編集方針が記載されています。
1 本書は江戸末期以降、肥前地域で用いられた窯元、もしくは製作者を表す銘款を集成したものである。よって、江戸時代に多く記された中国磁器に由来する装飾銘および、その流れで明治以降に用いられた装飾銘は基本的に収録していない。

2 江戸時代の肥前地域にある窯で用いられた19世紀以降の銘款を集成し、これを現在の佐賀県と長崎県に大別し、さらに19世紀以降の主な窯業地域で細分し、地域ごとの窯元名などで五十音順にならべて収録した。

3 銘款の中には窯が特定できないものもあり、推測で窯を表記し、「?」 マークを付したものもある。まったく不明のものは五十音順の後に付けた。

4 窯元は現在操業し、かつ操業が50年以内の窯については、解説を加えなかった。

同書中、本県関係では、波佐見、三川内、長崎の3地区別にまとめられ、「亀山焼」、 幕末の「秋の浦焼」(H.ハルデス)、明治期の「現川焼」などの銘款が記載されています。

【参考になるインターネットのサイト】
☆「波佐見焼の歴史」 http://hasami-kankou.jp/rekisi/index.html

☆「三川内焼の歴史」 http://www.mikawachi-utsuwa.net/

☆「三川内焼産業伝統会館」 http://www.sasebo99.com/taiken/MIKAWA.HTM

☆「佐賀県立九州陶磁器文化館」
http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kanko_bunka/k_shisetsu/kyuto/index.html

【参考になる施設】
☆「三川内焼産業伝統会館」℡0956-30-8080

☆「佐世保市うつわ歴史館」℡0956-30-6565

☆「佐賀県立九州陶磁器文化館」℡0955-43-3681


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 5技術 ③(料理)
[Q]長崎のくんち料理を調べるのに、何を参考にすればいいか

[A]長崎のおくんちは御輿三体が十月七日に諏訪神社から大波止の御旅所にお下りになり、九日にお上りになるまでをいいますが、六月一日の「小屋入り」を皮切りに、正式に準備が開始されます。十月三日の「庭見せ」四日の「人数揃い」から、祭りの雰囲気が盛り上がってきます。
踊町ではこの頃からお宮料理が準備されます。材料は近郊の素材を中心に季節の彩り、香り、盛り込みで作られます。またあらかじめ仕込んだ甘酒も添えられます。

【参考になる資料】
・ 『長崎料理史』
【和田常子著 / 柴田書店刊行 / 1958年6月 / 18-389】 

・ 『長崎の郷土料理 晴れ食・行事食』 
【十八銀行企画・編集・刊行 / 1988年12月 / 18-869-8】

・ 『長崎の郷土料理』 
【井上寿子著 / 長崎出版文化協会刊行 / 1982年12月 / 18-617】

・ 『長崎の料理』  
【和田常子著 / ノア書房刊行 / 1970年8月 / 18-370】

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎県観光連盟」 http://www.nagasaki-tabinet.com

☆「長崎市」 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp

☆「長崎県栄養士会」 http://www.nagasakiken-eiyoushikai.or.jp

☆「長崎の食文化」 http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/index.html


掲載日:2007年2月14日

■ 項目:郷土 5技術 ④(料理)
[Q]普茶料理について調べたい。参考文献を教えてほしい。

[A]長崎は古くから中国との交流があり、食品、料理、食事形式等強い影響を受けました。普茶というのは禅宗の茶礼という儀式のなかで、普く茶を供すということから出たものです。隠元によって伝えられ日本化された料理。初めは法要行事に仏前に供えたものを下げて料理し茶礼のあと、上下の別なく食卓を囲み分け合って食します。現在では一汁七菜、二汁九菜など豪華になっています。

【参考になる資料】
・『博多長崎味巡り』 
【日本交通公社編・刊行 / 1988年11月 / 18-829】

・『ら・めえる 第4~6号』 
【橋本国広著 / 海星ペンクラブ刊行 / 1988年12月 / 19-1052】

・『図説長崎歴史散歩』 
【原田博二著 / 河出書房新社刊行 / 1999年7月 / 13-4912】

・『出島事始め Ⅱ』
【長崎市総合企画室長崎伝習所出島事始め塾編・刊行 / 2003年3月 / 13-5447-2】

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎県観光連盟」 http://www.nagasaki-tabinet.com

☆「長崎市」 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp

☆「長崎県栄養士会」 http://www.nagasakiken-eiyoushikai.or.jp

☆「長崎の食文化」 http://www.mirokuya.co.jp/syokubunka/index.html


掲載日:2007年2月14日

■ 項目:郷土 5技術 ⑤(料理)
[Q]長崎市の名物料理を調べるのに、何を参考にすればいいですか。

[A] 鎖国時代、海外貿易で栄えた長崎の料理には、味・色彩に中国・南蛮・紅毛のかおりがあるといわれています。卓袱(しっぽく)料理、中華料理、普茶(ふちゃ)料理、南蛮料理などの区分ができますが、さまざまな地域の影響を受けています。
 その特徴を、ひとくちで言い表すことができないとして「和・華・蘭」(わからん)と表現されることがあります。

【参考になる資料】
・『長崎文化』(雑誌) 
【長崎国際文化協会 編集・刊行/19-246】
第39号「特集 味の長崎 わが家の味」、第48号「特集 長崎の味覚」などで、名物料理の紹介をしています。

・『長崎料理史』 
【和田常子 著/柴田書店 刊行/1958年06月/18-389】
長崎の料理を調べるには、見逃せない資料です。

・『長崎卓袱料理』 
【越中哲也 著/ナガサキインカラ- 刊行/1958年10月/18-701】
カラ-写真入りで見やすく、見るだけで食べたくなってきます。

・『図説長崎歴史散歩』 
【原田博二 著/河出書房新社 刊行/1999年07月/13-4912】 
各料理の特徴を、カラー写真と簡明な解説で紹介しています。

・『ら・めえる 第4~6号』 
【海星ペンクラブ 刊行/1983年07月/19-1052】
料理だけでなく、多方面の記事を楽しめる雑誌です。

・『長崎料理』 
【脇山順子 著/長崎新聞社 刊行/2005年07月/18-1616】 
家庭料理を中心に紹介し、レシピも掲載されています。

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎県文化振興課」 http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/kotohajime/026.html

【参考になる施設】
☆【長崎新地中華街商店街振興組合】 tel 095-822-4261


掲載日:2007年3月30日

■ 項目:郷土 5技術 ⑥
[Q]針尾無線塔は、いつ頃、何の用途で建設されたかを知りたい。

[A] 針尾送信所の無線塔は、1918(大正7)年着工、1922(大正11)年完成の、旧日本海軍が建設した軍事用の無線送信塔でした。
戦後は、1948(昭和23)年の海上保安庁発足時から、佐世保海上保安部へ引き継がれ、海難通信や海上保安業務に活躍してきましたが、1997(平成9年)に代替施設が建設されたため、現在は機能を停止しています。
また、この無線塔は、当時の鉄筋コンクリート建設の最高技術を今に伝える、貴重な構造物でもあります。

《関連データ「無線塔の規模・構造等》
無線塔は3本あり、正三角形に配置されています。塔相互間の距離は300mです。
・高さ … (1、2号塔) 135m (3号塔) 137m 
・塔基部の直径 … 12.12m 
・塔基部の周囲 … 33m
・塔頂部の直径 … 3.12m 
・コンクリートの厚さ … 76㎝ 


【参考になる資料】

・『長崎県の近代化遺産 長崎県近代化遺産総合調査報告書』
【 長崎県教育委員会 編・刊行 / 1998年10月 / 13-1096-140 】

・『九州遺産 近現代遺産編101』
【 砂田光紀 文・写真 / 弦書房 刊行 /2005年06月 / 17-2605 】

・『長崎雑学紀行』
【 後藤惠之輔 著 / 長崎文献社 刊行 /2006年12月 / 13-6226 】


【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「佐世保海上保安部 業務紹介」 http://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/sasebo/service/hoanbu/tsushin/hario/hario.html

【参考になる施設・機関】
☆「佐世保海上保安部」℡0956-31-6003


掲載日:2007年3月30日

■ 項目:郷土 5技術 ⑦(料理)
[Q]卓袱(しっぽく)料理とはどんなものですか。また家庭でも作れますか。

[A]長崎には、1571(元亀2)年のポルトガル船入港以来、多くの南蛮人や唐人が来航しました。鎖国令が出された後もオランダと中国に開かれた唯一の街として、海外の文化を取り入れてきました。
「食文化」も例外ではなく、長崎の歴史に深く関わり独特の発展をしてきました。
その中の一つ、卓袱料理は中国料理に源があり、卓はテ-ブル、袱はテーブルクロスを意味し、卓を囲んで食事をするということを表します。和食は伝統的に各人の銘銘膳ですから、大皿に盛られた料理を小皿に取って食すという形式自体、異国風にとらえられていたはずです。
 長崎の老舗料亭の献立は、写真とともに、下記【参考になる資料】の中に掲載されています。本格的に味わうには、料亭を利用するのが一番だと思いますが、家庭で作るにもそんなに難しいことではなさそうです。
 献立として、尾鰭、小菜にさしみ、湯引、口取り、煮豆、中鉢に角煮豚、大鉢、煮物御飯、香の物、水菓子(果物)、梅椀、等々があげられます。(レシピも下記【参考になる資料】に出ています。)

【参考になる資料】
・『長崎の郷土料理シリ-ズ:家庭でできる卓袱料理』
【十八銀行 企画・編集・刊行/ 1987年6月/ 18-869-5】
長崎の郷土料理シリーズで全8巻あり、カラー写真でレシピを紹介しています。

・『長崎卓袱料理』
【有馬喜幸 企画/ナガサキインカラ- 刊行/ 1985年10月/ 18-701】
長崎料理を家庭料理まで含めて、カラー印刷とともに紹介しています。

・『長崎料理:百花繚乱ふるさとの味』
【脇山順子 著/長崎新聞社 刊行/ 2005年7月/ 18-1616】
<サブタイトルにもあるように、咲き乱れる華のようにカラフルで、多種多様な食材で醸し出される長崎料理の数々をレシピとともに紹介しています。

・『長崎県文化百選:事始め編』
【長崎県 編/長崎新聞社 刊行/1997年4月/ 14-3222-3】
長崎独特の料理の形態、食し方、長崎から始まった料理などが紹介されています。

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎県文化振興課」
http://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/kotohajime/027.html

☆「長崎県観光連盟」
http://www.nagasaki-tabinet.com/gochi/


掲載日:2007年6月11日

■ 項目:郷土 5技術 ⑧
[Q]小浜温泉では、泉源を利用した製塩工場が林立していた。このことを調べる
資料はあるか。

[A]小浜温泉の「温泉熱利用製塩」に関しては、『長崎県温泉誌Ⅱ』
に、詳細な記述があります。
それによると、1941(昭和16)年頃から始まり、1965(昭和40)年4月まで行われていたとあります。
「昭和30年頃の製塩工場の場所」と題された地図、「小浜温泉熱製塩工場一覧表(昭和23)」、製塩用源泉の写真も多く掲載されています。
また附属資料に「工場別生産量(昭和27~昭和30)」、「源泉別温度及び湧出量一覧表(昭和31)」等が掲載されています。

【参考になる資料】
・『長崎県衛生公害研究所報 第29号 長崎県温泉誌Ⅱ』
【長崎県衛生公害研究所 編・刊/1988年/518-00ナガ-29】

・『雲仙・小浜温泉誌』
【長崎県衛生公害研究所 編/小浜町 刊/1989年/15-716】
この資料は、『長崎県衛生公害研究所報 第22号 長崎県温 泉誌Ⅰ』と、上記『同 第29号 長崎県温泉誌Ⅱ』を合本したものです。

・『一化学者の追憶』
【石川鉄弥 著/自費出版/1977年/289.1-イ】
石川氏は、戦後、県立佐世保商科短期大学、長崎大学商業短期大学部、西南学院大学で教鞭を執られていましたが、昭和16年6月から、小浜温泉熱製塩事業に従事されていました。

・『小浜町史談』
【小浜町編・刊/1978年/219.3-O】


掲載日:2009年3月26日

■ 項目:郷土 5技術 ⑨
[Q]坂本龍馬が、カステラのレシピを書き残していると聞きました。それは、刊本に掲載
されていますか。

[A]『坂本龍馬関係文書 二』の「雄魂姓名録」に、以下のように記載されています。
P80 カステイラ仕様
正味
玉子百目 うとん七十目 さとふ百目
此ヲ合テヤク也 阿蘭実方

「目」は匁(約3.75g)の略称でもありますが、重量比100:70:100=卵:うどん粉:砂糖という意味合いで記録された可能性もあります。

『国指定重要文化財 坂本龍馬関係資料』には、「雄魂姓名録」全文の白黒写真が掲載されています。
P58に、原史料の画像が掲載されています。
P84には資料解説があり、「カステイラ仕様」の翻刻も掲載されています。

なお、2009年4月15日付「長崎新聞」第25面「石だたみ」の項で、「幕末長崎龍馬会席」が長崎市内にメニューとして登場し、上記レシピを再現したカステラも提供されている旨、記載されています。

【参考になる資料】
・『坂本龍馬関係文書 二』
【日本史籍協会 編/東京大学出版会 刊/1929年(2003年覆刻再刊)/289-01サリ2】

・『国指定重要文化財 坂本龍馬関係資料』
【京都国立博物館 編・刊/1999年/19-3000-610】

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎県立長崎図書館」郷土の新聞見出し検索
http://www.lib.pref.nagasaki.jp/newspaper


掲載日:2009年6月5日

■ 項目:郷土 5技術 ⑩
[Q]江戸時代以降、西洋から伝わった牛肉を使った料理を知りたい。

[A]ヒカド、ヒロス、牛かん、トゥエタノなど

【参考になる資料】
『長崎の食文化 西洋と東洋の出会いの地』
【柳原政史 著/タウンニュース社 刊行/1994年/383-00ナガ】
『異国料理特集 長崎の郷土料理シリーズ』
【十八銀行 刊行/1986年/596-00イコ】
『長崎出島の食文化』
【親和銀行ふるさと振興基金 編/親和銀行 刊行/1993年/596-01ナガ】
『長崎料理史』
【和田常子 著/柴田書店 刊行/1958年/596-01ナガ】
『長崎料理8』
【長崎調理研究会 編・刊行/596-01ナガ-8】
『ヒカド 南蛮料理から生まれた「ヒカド」 マロンのお肉de郷土料理vol3』
【日本食肉消費総合センター 刊行/2006年/596-00ヒカ】
『長崎の郷土料理 よみがえるふるさとの味』
【井上寿子 著/長崎出版文化協会 刊行/1982年/596-00ナガ】
『長崎の西洋料理 洋食のあけぼの』
【越中哲也 著/第一法規出版 刊行/1982年/383-01ナガ】
『長崎料理歳時記 21世紀に残したい故郷の味』
【長崎新聞社 編・刊行/1999年/596-00ナガ】
『長崎奉行のお献立 南蛮食べもの百科』
【江後迪子 著/吉川弘文館 刊行/2011年/383-01ナガ】


掲載日:2013年3月21日

■ 項目:郷土 5技術 ⑪
[Q]長崎でイチゴの缶詰が初めて作られたということを裏づける資料はありますか。

[A]1879(明治12)年につくられた長崎県立缶詰研究所において、イチゴの缶詰が製造されたことを示す3つの資料を確認しましたが、長崎が初めてかどうかは不明です。
『年表で読む日本食品産業の歩み 明治・大正・昭和前期編』
【西東秋男 編/山川出版 刊行/2011年/588-01ネン】
「1879年7月の項  長崎県、わが国缶詰製造の始祖といわれる松田雅典(1832~1916)の意見を取り入れ、 県立缶詰研究所を設立 *雅典は主任に任命され、モモ・ビワ・イチゴ・トマト・タケノコなどの缶詰を製造し、 これらの缶詰を持参し、勧農局に納入したところ、好評を博したという」
『日本缶詰史 第1巻』
【山中四郎 著/日本缶詰協会 刊行/1962年/588-Y34-1】
「(明治)十三年一月には牛肉、たい、車えび、かき、たけのこ、もも、びわ、いちご、トマトなどの試製品を持って上京し、 勧農局に納入したが、これらもまた好評であった。」
明治十(1877)年五月二十九日附読売新聞の記事 として 「『四谷内藤新宿の勧農局にて、西洋風のジャム、もも、すももなどの砂糖漬を製せられ、京橋八官町十七番地の長久にても売捌きますが、中々味がよく…』 これはわが国の和製ジャムが市販された最初であると思われる(缶詰時報 第15巻 第8号)」
『缶詰要覧』
【日本缶詰協会 編/刊行/1936年/588-N77】
「明治10(1877)年10月開催の第2回内国勧業博覧会出品缶詰の項  北海道からの出品缶詰として「苺」の記載あり」


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 6 産業 ①
[Q]長崎で開催された「全国菓子大博覧会」とは、どのような博覧会だったのか知りたい?

[A]「第14回全国菓子大博覧会」の概要についてお答えします。

○ 期 間 昭和32年3月21日 ~ 30日
○ 場 所 長崎市国際文化会館附近一帯
○ 主 催 長崎県菓子業協同組合連合会
○ 大会名誉総裁として高松宮宣仁親王殿下と高松宮妃喜久子殿下が 御臨席された。
○ 入場者 約85万人
○ 会 場 長崎館・九州館・京都館など、およそ20館が設置された。
○ 沿 革 第1回は明治44年4月に東京赤坂で開催、以来、長崎開催までに大阪・ソウル・横浜・京都等で開催された。
開催は不定期(概ね4年に1度)であるが、最近では、平成14年に熊本市で開催された。『和菓子のオリンピック』とも呼ばれている。


【参考になる資料】
次の資料で、当博覧会の模様や、当時の長崎市街の様子なども調べることができます。

・『第14回全国菓子大博覧会記念誌』
【 中川真晤 編 / 長崎県菓子業協同組合連合会 刊行 / 1957年10月 / 17 - 423 】

・『菓業経済新聞 第14回全国菓子大博覧会記念特集号』
【 菓業経済新聞社 編 / 長崎県菓子業協同組合連合会 刊行 / 1957年 /
17 - 405 】

・『第14回全国菓子大博覧会開催要綱』
【 菓業経済新聞社 編 / 長崎県菓子業協同組合連合会 刊行 / 1957年 /
17 - 405-2 】


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 6 産業 ②
[Q]生月の捕鯨はいつ頃から盛んになったか知りたい?

[A]最も古い鯨研究書である「西海鯨鯢記」によると、西海捕鯨のはじまりは17世紀初頭とされており、生月における捕鯨も17世紀中には行われていたようです。

 生月の捕鯨が本格化するのは、江戸時代の享保10年(1725年) 田中長太夫と畳屋又左右衛門正勝が共同で経営する鯨組突取捕鯨からとされています。(後に、畳屋氏は平戸の殿様から「益冨」という姓を受けた)

 その後益冨組は、壱岐をはじめ西海各地の漁場に進出し、19世紀初頭には、日本一の鯨組になりました。

《関連データ》
■ 「益冨組」について

・活動時期 … 享保18年(1733年)の操業開始から
明治7年(1874年)の解散までの142年

・総捕獲頭数 … 21,700 頭 あまり

【参考になる資料】

生月をはじめとした西海地域の捕鯨に関しては、次の資料で詳しく調べることができます。 鯨の捕獲だけでなく、解体・加工、食文化なども記述されています。

・『西海のくじら捕り』
【 立平進 著 / 長崎県労働金庫 刊行 /1995年06月 / 17-1967 】

・『鯨取りの系譜』
【 中園成生 著 / 長崎新聞社 刊行 / 2001年01月 / 17-2342 】

・『捕鯨法からみた 日本の捕鯨』
【中園成生 著/ 生月町博物館島の館 刊行/2002年04月/ 17 -2452】

・『西海捕鯨の史的研究』
【 鳥巣京一 著 / 九州大学出版会 刊行/1999年07月 / 17-2229 】

・『西海鯨鯢記 (平戸市の文化財13)』 ※ 長崎歴史文化博物館所蔵
【 平戸市教育委員会・立平進 著 / 平戸市教育委員会 刊行 / 1980年03月 / 17-1122-1 】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「平戸市生月町博物館 島の館」 http://www.ikitsuki.com/yakata

【参考になる施設】
☆「平戸市生月町博物館 島の館」 ℡0950-53-3000


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 6 産業 ③
[Q]戦前、長崎と中国との間で航行していた、長崎丸と上海丸の最後の航海日が知りたい。

[A]両船は大正から昭和初期にかけて長崎-上海間日華連絡船として活躍した高速船です。長崎、上海間を26時間で航行しました。(週2回の定期航行)両船が建造された日、最初と最後の航行日をお答えします。

○ 長崎丸
・1922(大正11)年10月23日 竣工
・1923(大正12)年02月11日 就航
・1942(昭和17)年05月13日 長崎港外伊王島北方 触雷で沈没

○ 上海丸
・1923(大正12)年01月15日 竣工
・1923(大正12)年03月25日 就航
・1943(昭和18)年10月30日 揚子江口 他船と衝突し沈没

《関連データ「長崎丸と上海丸の概要」》
姉妹船である両船の規模や性能などについて概略お答えします。

区 分長崎丸上海丸
・ 総トン数 5,272 t 5,259 t
・ 長さ 120.4 m 120.4 m
・ 幅 16.5 m 16.5 m
・ 出力 11,377馬力 11,137 馬力
・ 最高速力 20.9 ノット 20.2 ノット
・ 航海速力 17.1 ノット 17.2 ノット
・ 船客定数 355 名 344 名
・ 乗組員数 125 名 125 名

なお両船とも、イギリスのW.デニー造船所で建造された、日本郵船(株)所有の船です。


【参考になる資料】
・『日本郵船株式会社 七十年史』
【日本郵船株式会社 編・刊行 /1956年07月 /683.2 - ニ-2 】

・『上海航路の時代 大正・昭和初期の長崎と上海』
【 岡林隆敏 編著 / 長崎文献社 刊行 /2006年10月 / 13-6180 】

・『長崎県文化百選 海外交流編』
【 長崎県 編 /長崎県県民生活課 刊行 /2000年03/14-3222-6 】

・『長崎事典 産業社会編』
【 嘉村国男ほか 執筆 /長崎文献社 刊行/1999年06月/13-2559-3 】


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 6 産業 ④(農業)
[Q]長崎県内で古くから栽培されている野菜にはどんなものがありますか。

[A]長崎市内で雑煮に使われる「唐人菜」のように、いわゆる「ご当地野菜」や「伝統野菜」と呼ばれるものですね。
「唐人菜」は、別名「長崎白菜」とも言われる長崎の伝統野菜です。
『長崎の伝統野菜』【長崎県農産園芸課 刊行】によれば、球形にならない「半結球タイプ」の白菜で、江戸時代の文献にその記述があり、長崎以外の土地で栽培すると、2年目からは「唐人菜」でなくなるという不思議な野菜です。(「他国に移植(ウツシウユ)るに 一年は生ずといへども 次年変じて そのものにあらずとなん」と『長崎聞見録』に記述あり)
ほかに、諫早の「唐古蓮根」、雲仙の「雲仙こぶ高菜」、平戸の「木引かぶ」などがあります。

【参考になる資料】
・『長崎文献叢書 第1集第5巻 長崎聞見録』
【丹羽漢吉 校訂/長崎文献社 刊行/1975年5月/13-1857-1~5】
この資料は、1800(寛政12)年に京都と大坂で刊行されたものの翻刻です。唐菜(唐人菜)・高菜・モヤシなどの記述があります。

・『ながさきの空 第17集』
【長崎歴史文化協会 編/十八銀行 刊行/2006年1月/19-1221-2-17】
唐人菜の栽培復活に関するエピソードが、記述されています。

以下の資料には、栽培方法などについての記述があります。

・『長崎の伝統野菜』
【長崎県農産園芸課刊行/2003年3月/17-2747】

・『ながさきお野菜伝』
【長崎市農林部農林振興課刊行/2006年/18-1850】

・『ながさき伝統野菜レシピブック』
【長崎県農林部農産園芸課刊行/〔2006] /18-1745-】

・『都道府県別地方野菜大全』
【タキイ種苗株式会社出版部 編/農山漁村文化協会 刊行/2003年2月/626-ト-03】

・『ふるさと野菜礼賛』
【さとうち藍 著/家の光協会 刊行/2007年2月/626-サ-07】

・『岩崎さんちの種子(たね)採り家庭菜園』
【岩崎政利著/家の光協会 刊行/2004年2月/626.12】

【参考になるインタ-ネットのサイト】

☆「ながさきの「食」推進事業>各部会の活動>地産地消部会>長崎伝統野菜」
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/shoku/activity/dentou.htm

☆「e-農林水産・ながさき>料理レシピ・手作り加工品」
http://www.n-nourin.jp/oh/recipe/frame/dentou_submain.htm


掲載日:2007年6月11日

■項目:郷土 6 産業 ⑤
[Q]長崎のカステラ、佐世保のハンバーガーには、認定制度があるそうですが、それぞれどのように認定しているのですか。

[A]両者の認定制度には、違いがあります。

・長崎カステラ
 特許庁は、平成18年10月27日「地域ブランド」の商標登録として、「長崎カステラ」を認定しました。 (他に52件)これを受けて、長崎県菓子工業組合が認定制度を始めました。
 同組合は、平成19年3月28日、認定審査会を開き、 4月1日付で、122の「長崎カステラ」認定審査会合格加盟組合員名を発表しました。審査を通過した業者は、商品に認定シールを貼ったり、 店頭で認証を示すポスターを掲示しています。
 現在、特許庁の認定を受けたものは、県内では「長崎カステラ」だけですが、他に出願中の製品が 複数あります。

・佐世保バーガー
 ブームの過熱を受けて、佐世保観光コンベンション協会が、認定制度を始めました。同協会は審査会を開き、 平成19年4月27日、市内25のハンバーガー店を認定しました。認定を受けた店は、3年間にわたって バーガーボーイを描いた看板を掲げることができます。また、同協会発行の「佐世保バーガーマップ」に店の 案内が掲載されることになりました。

【参考になるインタ-ネットのサイト】

☆「特許庁」
http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/torikumi/puresu/press_chidan_touroku_satei.htm

☆「長崎県菓子工業組合」
http://www1.cncm.ne.jp/~nagakasi/nagasaki_007.htm

☆「佐世保観光コンベンション協会」
http://www.sasebo99.com/


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 6 産業 ⑥
[Q]1906(明治39)年3月28日におきた高島炭鉱蛎瀬坑ガス爆発の災害について記述している資料を紹介してください。

[A]【参考になる資料】

『長崎県の炭鉱と高島』
【隈部守 著/1988年/567-00ナガ】
『長崎労働組合運動史物語』
【長崎労働組合運動史編纂委員会 編/長崎県労働組合評議会 刊行/1972年/366-00ナガ】
『高島炭礦史』
【三菱鉱業セメント 編/刊行/1989年/17-1661】
『高島町の歴史年表』
【高島町教育委員会 編/刊行/2003年/219-01タカ】
『炭坑誌 長崎県石炭史年表』
【前川雅夫 編/葦書房 刊行/1990年/17-1695】
『東洋日の出新聞 明治39年』3月31日(3面)、4月1日(3面)、5日(3面)、9日(2面)、 10日(2面)、22日(2面)、23日(2面)、28日(2面)、5月7日(3面)


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ①
[Q]平戸出身の童画家黒崎義介(くろさきよしすけ)について知りたい。

[A]1905年(明治38)年3月25日平戸市生まれの日本画家、童画家。猶興館中学時代から 絵を描き、大正10年には夏休みを利用し幼稚園を借りて個展を開いたことがあるそうです。大正15年に上京して川端画学校に入学、昭和4年ころから絵本を描きはじめ、昭和7年には「新ニッポン童画会」を結成。平明でわかりやすい絵のため、多く の子どもたちに受け入れられていました。昭和59年没。(1000点を超える資料が、藤
沢市に寄贈されています。)

原画は 
1 昭和の絵本美術館(豊後高田市)
2 よしすけ工芸館(藤沢市)   
3 伊豆山神社御殿(熱海伊豆山温泉)などで見ることができます。

【参考になる資料】
・『池袋モンパルナスの童画家たち』
【上笙一郎・尾崎真人 監修・池袋モンパルナスの会 責任編集/
明石書店 刊行/2006年04月】

・『日本の童画家たち』
【上笙一郎 著/くもん出版 刊行/1994年02月/726.5カ】
【上笙一郎 著/平凡社 刊行/2006年08月】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「昭和の絵本美術館」
http://www.city.bungotakada.oita.jp/kankoukyoukai/shouwanomati-romangura-ehon.jsp

☆「伊豆山温泉協会」 http://www.izusan.com/
伊豆山神社御殿の天井の童画


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ②
[Q] 長崎には「日本最初の○○」(ことはじめ)がたくさんあるそうだが、スポ-ツに関してはどうか。

[A]バドミントンやボ-リングが長崎発祥のスポ-ツとされています。

【参考になる資料】
・『ながさきことはじめ』 
【嘉村国男著 / 長崎文献社刊行 / 1990年8月 / 13-3514】

・『文化百選 事始め編』 
【長崎県生活環境部編 / 長崎県刊行 / 1997年4月 / 14-3222-3】

・『長崎事始め』 
【長崎県教育会編・刊行 / 1981年8月 / 13-2526】

・『出島事始め』 
【長崎市総合企画室内長崎伝習所編・刊行 / 2002年3月 /?13-5447-1】

【参考になるインタ-ネットのサイト】
☆「長崎ことはじめ」http://www.ktn.co.jp/kotohajime/kotohajime1.html


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ③
[Q] 戦前、長崎市で小学校の合同運動競技会が開催されていたらしい。各競技の優勝者、記録など調べることができますか。

[A]大正5年(1916)11月3日、長崎日日新聞社主催の「立太子礼奉祝小学校連合 運動会」が中の島埋築地で開催されました。市内(当時)各小学校・男女師範学校附 属小学校・隣村(当時)の上長崎小学校・山里小学校の、尋常5学年以上の男女児童 選手が参加しました。
 翌年以降、県下全域に拡大し、小学校体育会の秋の年中行事となりました。 この時期の新聞に記事が掲載されています。

『長崎市制五十年史』に以下のように、あります。

 創設当時は 運動熱が極めて低調であつたので 競技本位の種目の外、提灯、 戴嚢、服装等の興味本位の種目を加へて 専ら運動趣味を鼓吹して、市民の運動に関する認識を 一変せしめ、一般市民の運動思想の向上に 多大の貢献をなして居る。此の間、漸次 興味的種目 を減じて只管 体位の向上を図ると共に競技の進歩を目標とし、大正11年 第六回運動会に初めて 記録を取つて 左の成績を得た。

(尋常科5・6年生男女の百・二百・四百米、5・6年生男子の走幅跳の記録あり)

 爾来 同運動会は体育の重視と趣味の普及により 郡部学校の参加増加して 48校を数へたる年もあつたが、一般学童の体位向上の目標は、最近に至り 選手主義と変つた観があるが、其のため記録は年々向上して昭和十二年まで に左の成績を得て居る。

(尋常科5・6年生、高等科1・2年生男女の百・二百・八百継走・走幅跳・三段跳、 同の5・6年生男子の四百米の記録あり)

 『長崎市制五十年史』には何年まで開催されたか記述がありませんが、地元紙を 調べると昭和17年(10月20日開催)まで行れていたようです。開催前は、数日 にわたって出場選手名簿が掲載、大会翌日は優勝者の氏名と記録が掲載されるなど、 当時は有名な大会だったようです。

【参考となる資料】
・『長崎市制五十年史』【長崎市役所 編集・刊行/1939年/13-780】
・毎年10、11月の新聞


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ④
[Q]昭和4年8月、長崎市山里小学校の野球チームが全国大会に出場したということを知った。何という大会で、結果はどうだったのか、知りたい。

[A]昭和4(1929)年8月の「長崎新聞」、「長崎日日新聞」の記事から、以下のようなことがわかりました。(この時期甲子園球場では、全国中等学校野球大会が開催されています。)

大会名 全国少年野球大会
会 場 明治神宮外苑球場、戸塚球場
結 果 8月19日 高等科 銭座小 0 VS 3 戸島小(神奈川)
    8月20日 尋常科 山里小 2 VS 7 山崎小(神奈川)
    (電話取材に基づく記事で、「神奈川」が「金沢」と表記されている箇所も
    あります。)

県予選 第2回全長崎少年野球県下代表試合
期 間 8月1日~3日
会 場 三菱球場
主 催 長崎新聞社(現在の長崎新聞とは、経営的につながりがありません。)
    (代表チームの写真が、8月4日付朝刊に掲載されています。)

 『片岡弥吉先生を憶う』【柳谷武夫 編/キリシタン文化研究会 発行/1981年/13-2502】の中に、田川初治氏が「呼べど応えず」という題名の文章を寄稿されています。
 田川氏が、片岡氏との初めての出会いを回想したもので、上京していた山里小学校生と一緒に飛行船ツェペリン号を見たことなど、以下のように述べられています。

  「……片岡さんや私の母校である山里小学校のチーム……が、……マリア会にお願いして、暁星中学校の生徒の寄宿舎を一時の宿に提供していただいたのである。明治神宮外苑球場で開会式があって、早稲田の戸塚のグラウンドで試合して敗退したが、……」


掲載日:2008年5月21日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ⑤
[Q]長崎県出身の劇作家、舞台芸術の戯曲作家の名前・出身地・生没年・主な作品名を知りたい。

[A]以下の8人を紹介します。

1 水谷 竹紫・長崎市・1882(M15)~1935(S10)
  主な作品 「戦国の女」・「父親の死」・「舞踏曲 吹雪の曲」
  (第2次芸術座の興行に尽力し、義妹水谷八重子(初代)を育てた演出家としても知られています。)

2 田中 千禾夫・長崎市・1905(明治38)年~1995(平成7)年
  主な作品 「マリアの首」・「千鳥」・「右往左往」
  (本館ホームページ「長崎ゆかりの文学」で紹介しています。)

3 岡部 耕大・松浦市・1945(昭和20)年~
  主な作品 「肥前松浦兄弟心中」・「亜也子」・「東京ナインガールズ」
  (本館ホームページ「長崎ゆかりの文学」で紹介しています。)

4 内嶋善之助・島原市・1952(昭和27)年~
  主な作品 「島原・天草の乱 レクイエム」(戯曲)・『火の山の記憶』
  (島原市でシマバラ表現主義クラブを主宰されています。)

5 岩松 了 ・川棚町・1952(昭和27)年~
  主な作品 「布団と達磨」・「鳩を飼う姉妹」・「こわれゆく男」
  (劇団東京乾電池で俳優としても活躍、「バカヤロー 2」(映画)では監督を務められました。)

6 野田 秀樹・西海市・1955(昭和30)年~
  主な作品 「野獣降臨」・「パンドラの鐘」・「THE BEE」
  (本館ホームページ「長崎ゆかりの文学」で紹介しています。)

7 松田 正隆・平戸市・1962(昭和37)年~
  主な作品 「紙屋悦子の青春」・「海と日傘」・「夏の砂の上」
  (「紙屋悦子の青春」(映画)の主演は、長崎市出身の原田知世さんでした。)

8 福田 修志・長崎市・1975(昭和50)年~
  主な作品 「ツキコイシ」・「ロン通り13番地」・「マチクイの詩」
  (長崎市でF's companyを主宰されています。)

 その他、活躍の中心は舞台ではありませんが、以下の作家も本県にゆかりのある方々です。
  <テレビドラマなど> 市川森一(諫早市)・金子成人(佐世保市)

  <テレビバラエティなど> 海老原靖芳(佐世保市)

  <ミュージカル> 東 由多加(少年時代を長崎市で過ごされています。)

  菊田一夫も、少年期を雲仙市加津佐町で1年余り生活しています。

【参考になる資料】
 ・『長崎県 人物・人材リスト 2007年』
  【日外アソシエーツ 編・刊/2006年/281-00ナガ-07】


掲載日:2008年7月11日

■項目:郷土 7 芸術・スポーツ ⑥
[Q]1954年に力道山が長崎でプロレス興行を行ったときの新聞記事等から会場や対戦の様子などがわかりませんか。

[A]該当記事が記載されている新聞の日付と見出し及び結果は以下の通りです。
長崎日日新聞8月10日(火)(4面)「しのぎ削る日米両雄31日長崎で初のプロ・レスリング力道山ら強豪ずらり」
8月22日(日)(4面)「プロ・レス長崎大会31日松山競輪場で」
8月31日(火)(4面)「愈々きょうプロレス長崎秘術つくす肉弾戦展開」
9月1日(水)(4面)「リングの決戦に沸く長崎初の日米プロレス」「力道山組敗る日米プロレス佐世保大会」
長崎民友新聞7月29日(木)(2面)「長崎でプロ・レスリング選手権-力道山・遠藤・ハンスら来征-」
8月25日(水)(3面)「期待の死斗、タッグ・レス国際プロ・レスリング大会」
8月31日(火)(3面)「プロ・レスリング国際大会きょう長崎競輪場特設リングで」
9月1日(水)(3面)「リングに白熱の死斗国際プロレスリング試合」
9月2日(木)(2面)「力道山・遠藤が快勝プロ・レスリング国際大会」
8月30日佐世保会場佐世保市公会堂観客数不明(長崎日日新聞9月1日)
ニューマン・シュナーベル(2-1)力道山・遠藤
ニューマン(体固め)力道山〇
〇シュナーベル(体固め)遠藤
〇ニューマン(体固め)遠藤
8月31日長崎会場松山競輪場観客数不明(長崎民友新聞9月2日)
15分一本勝負 〇阿部(体固め)金子10分7秒
20分一本勝負 〇宮島(体固め)渡辺14分23秒
30分一本勝負 〇田中(足取り固め)トルコ14分39秒
45分三本勝負 〇駿河海(2-0)卓詒約胴締め14分28秒、体固め9分37秒
60分三本勝負 力道山・遠藤(2-0)シュナーベル・ニューマン
〇遠藤(反則)ニューマン28分48秒
〇力道山(体固め)シュナーベル13分26秒


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 8 言語 ①
[Q] 「徒然草」(つれづれぐさ)の「つれづれ」を、「徒然」の字のとおり「とぜん」と発音する地域があると聞いた。「つれづれなり」と同じ意味なのかどうか、教えてほしい。

[A]以下の五語が、代表的な用例です。

①「とぜんなか」
  一人でいて退屈だ。さびいしい。もの足りないの意で「つれづれなり」とほぼ同義です。
(県内で広く見られるが、佐世保市北部から北の北松浦郡・松浦・平戸地区、壱岐・対馬、諫早市の地域には見られない。)
②「とおぜんなか」
  ①と同じ
③「とんぜんなか」
  ①と同じだが、特に五島の宇久島によく見られる。
④「とおじんなか」
  ①と同じだが、特に五島、島原半島によく見られる。
⑤「とじんなか」
  ③と同じ

 

【参考になる資料】
『長崎県方言辞典』
【原田章之進 著/1993年12月/風間書房/12-1867】


掲載日:2007年2月14日

■ 項目:郷土 8 言語 ②
[Q] 「ごきぶり」の方言での呼び方を教えてほしい。

[A]「ごきぶり」の語源は、「御器かぶり」(御器(木製の椀)をかじる、器に付いている食べかすを食べる姿からそう見える)と言われていますが、この語から派生して
①「ごっかぶり」 西大村地区、南有馬
②「ごっかぶる」 島原半島
③「ごっかぶろ」 松浦市福島が見られます。

その他

④「あまめ」  壱岐・対馬、北松浦郡吉井、長崎市
(五島ではフナムシの意でも用いる)
⑤「いご」   五島(島原半島ではコオロギの意でも用いる)
⑥「きなめ」  諫早、島原半島(島原半島ではコオロギの意でも用いる)
⑦「ぎなめ」  雲仙市千々石町
⑧「くろず」  五島市三井楽
⑨「くろんず」 五島市奈留
⑩「くろっつ」 大村、西海市崎戸、長崎市外海
⑪「とっくう」 長崎市野母崎などの用例があります。

【参考になる資料】
『長崎県方言辞典』
【原田章之進 著/1993年12月/風間書房/12-1867】


掲載日:2007年2月14日

■ 項目:郷土 8 言語 ③
[Q] 長崎県内で歌われている子守歌について、教えてほしい。

[A] 各種イベントで子守歌が歌われていることはあっても、実際に子守をしながら歌われている例は非常に少ないのではないかと思われます。歌われているとすれば各地に伝えられて来たものではなく、「ぼうやは、よい子だ、ねんねしな……」の江戸の子守歌がほとんどだろうと推測されます。日常生活の中で、各地に伝承されてきたものを歌う例は少ないようですが、次の地域の子守歌が、下記の【参考になる資料】に掲載されています。
①「○○の子守歌」ではなく、単に「子守歌」と呼ばれてきたもの
    ・長崎市(三和)   ・島原市     ・雲仙市(千々石)
    ・南島原市(南有馬) ・五島市(岐宿)  ・上五島町(有川)
    ・壱岐市(郷ノ浦)  ・対馬市(鰐浦)

②題名があるもの
    ・「壱州子守歌」 壱岐市     ・「ねんねせろ」    長崎市外海
    ・「酒屋ごご」   佐世保市木原  ・「いちょうたけ雀の」 松浦市今福
    ・「ころろん」   対馬市厳原   ・「一の木 二の木」 西海市


  いわゆる「ねさせ歌」ではなく、「遊ばせ歌」が残る地域として、長崎市(外海)、対馬市(上対馬)、南島原市(加津佐)が紹介されています。

【参考になる資料】
・『ながさきの民謡』
【長崎新聞社 編/謙光社 刊行/1969年03月/12-521】

・『日本民謡大観 九州編(北部)』
【日本放送協会 編/日本放送出版協会 刊行/1997年06月/12-909-2】

・『佐賀長崎のわらべ歌 日本わらべ歌全集24』
【黒島宏泰 編/柳原書店 刊行/1982年10月/12-1145】

・『全長崎県歌謡集』
【円田陽一 編/交蘭社 刊行/1931年09月/12-266】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「日本子守唄協会」 www.komoriuta.jp


掲載日:2007年2月14日

■ 項目:郷土 8 言語 ④
[Q] 長崎県の代表的な雨乞いの民話を教えてほしい。

[A]雨乞いの伝説は、誰かの犠牲の上に成り立つ悲しい話が多いのですが、川棚町虚空 蔵山の菩薩の話はゆかいな話として有名です。

 雨を降らせるために仏像の口に塩辛い味噌をたっぷり塗りつけ、のどが渇くようにしむけ、水を欲しがらせ、 それでも雨が降らない時は、夜の内に山からその石の菩薩を運び出し、潮水につけ、夜明けまでに頂上に運んで、 昼間はたっぷり日の光をあびてもらうこと6日間、7日目にやっと雨が降ったという話が伝わっています。
 ほかには水晶観音の話(諫早市)、平戸の雨乞の話などがあります。

【参考になる資料】
・『平戸の伝説と逸話』
【志自岐惣四郎 著/非売品/1954年10月/13-6267】

・『西海の伝説』
【山口麻太郎 編集/第一法規出版 刊行/1974年09月/13-1930】

・『長崎の伝説』
【福田清人 著/角川書店 刊行/1978年03月/388.1-SH】

・『長崎の伝説』
【長崎県小学校教育研究会国語部会 編集/日本標準 刊行/1981年05月/13-2519】

・『長崎県の民話』
【日本児童文学者協会 編集/偕成社 刊行/1982年06月/13-2621】


掲載日:2007年11月22

■ 項目:郷土 8 言語 ⑤
[Q]「さて君さまは御安徳 ただなにごとも中木場……」で始まり、「安徳」・「中
木場」と島原半島の地区名を入れた歌があるらしい。その歌詞が掲載された本
を所蔵しているか。

[A]渋江鉄郎 著『島原ばなし』に掲載されています。質問文の歌詞
は「南廻りの唄」で、「北廻りの唄」も掲載されています。ここにある
町村名は、明治22年4月施行の「市政町村制」前後のもので、現在の島
原市を例にあげると、島原町・島原村は特に区別されず、湊町・杉谷
村・安徳村・中木場村・三会村・三之沢村・東空閑村・大野村・湯江村の町
村名が入っています。

【参考になる資料】
・『島原ばなし』
【渋江鉄郎 著/昭和堂印刷総合企画 刊/1975年/219.3-SH】


掲載日:2009年3月26日

■ 項目:郷土 8 言語 ⑥
[Q]天狗の伝承に関する資料を知りたい。

[A]天狗に関する民話や昔話として以下のようなものがあります。
『こながいの昔ばなし』「重太夫と天狗」
【小長井町青年団女子部 編/小長井町青年団 刊行/1989年/388-04コナ】
『高来町郷土誌』「天狗の笑い」
【高来町 編/刊行/1987年/219-04タカ】
『いさはやの昔ばなし』「大蔵と天狗どん」
【諫早市教育委員会 編/日本の子どもふるさと継承委員会 刊行/1990年/388-04イサ】
『長崎県北高来郡飯盛町郷土誌』「天ぐと大蔵」
【飯盛町郷土誌編纂委員会 編/飯盛町 刊行/2004年/219-04ナガ】
『西海の伝説』「稲妻大蔵とコットン石」
【山口麻太郎 編/第一法規出版 刊行/1974年/388-00サイ】
『われ等の長崎県 民話伝説集』「稲妻大蔵」
【吉松祐一 著/正文社 刊行/1955年/388-00ミン】
『日本昔話通観 第24巻 長崎・熊本・宮崎』「天狗の骰子」
【稲田浩二 編/同朋舎出版 刊行/1980年/388-00ニホ】
『長崎の伝説』「天狗と勇太郎」
【長崎県小学校教育研究会国語部 編/日本標準 刊行/1981年/388-00ナガ】


掲載日:2013年3月21日

■ 項目:郷土 8 言語 ⑦
[Q]「でんでらりゅうば」という歌について、歌詞とその意味を教えてください。

[A]「でんでらりゅうば」の歌詞
「でんでらりゅうば(が)でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん」
『新長崎じげ辞典』
【ザ・ながさき企画・製作/発行/1994年/818-00シン】
「出て行けるようであれば、出て行くが、出て行かれないようなので行かない」という意味の歌。
日露戦争の頃流行った長崎節がルーツとも言われている。
『長崎新聞 昭和47年1月28日(金)(27日夕刊)6面』「長崎県の歌謡史〈14〉」
「長崎節」と名付けられたものには、明治38年頃流行した「演歌長崎節」がある。
「ロシヤの軍艦なぜ出んじゃろか 出られんけん出ん 出らりゃ出るばってん 出られんけん出ん  コサック騎兵はなぜ来んじゃろか 来られんけん来ん 来らりゃ来るばってん 来られんけん来ん」 『長崎県のことば』
【平山輝男他編著/明治書院刊行/1998年/818-00ナガ】
歌詞のバリエーションも様々で、歌われた背景もよくわかっていないが、 ①長崎市郊外では、子守をさせられる子どもたちが友達のところへ遊びに行ったり来たりできないことを嘆く歌であると思っている地域があること。
②長崎丸山あたりの遊郭から発祥した遊女の悲哀の歌かもしれないこと。 などの解釈がある。 また昭和52年に「デンデラリュウ」という歌が社会風刺ソングとして話題になったようです


掲載日:2013年3月21日

■項目:郷土 9 文学 ①
[Q]長崎県出身の芥川賞・直木賞受賞作家を知りたい。

[A]日本文学振興会(芥川賞・直木賞の選考と授賞を行う財団法人)のホームページで、2006年上半期までの受賞者一覧をあたりました。
長崎県出身者は次の8名です。

〇芥川賞 6名
第70回 『草のつるぎ』
【野呂邦暢 著/文藝春秋 刊行/1974年/12-1026-2】

第70回 『月山』
【森敦 著/河出書房新社 刊行/1974年3月/12-2641】

第73回 『祭りの場』
【林京子 著/講談社 刊行/1975年/12-814】

第75回 『限りなく透明に近いブルー』
【村上龍 著/講談社 刊行/1976年7月/12-1426】

第124回  『聖水』
【青来有一 著/文藝春秋 刊行/2001年2月/12-2297】

第127回  『パーク・ライフ』
【吉田修一 著/文藝春秋 刊行/2002年8月/12-2694】

〇直木賞 2名
第36回 『勝烏』
【穂積驚(みはる)著/大日本雄弁会 刊行/1957年/913.6 H97】

第97回 『海狼伝』
【白石一郎 著/文藝春秋 刊行/1987年/12-1405】

【参考になるインターネットのサイト】

☆「日本文学振興会」 http://www.bunshun.co.jp./shinkoukai/


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 9 文学 ②
[Q] 長崎市内にある文学碑について知りたい。

[A]本館周辺の長崎公園、諏訪神社には、「文学碑」・「歌碑」・「句碑」などが多く、そういったものを見つけるのも、散策のひとつの楽しみだと思います。

*主な文学碑  
・佐多稲子 長崎公園内
・田中千禾夫 浦上天主堂敷地内
・山本健吉 諏訪神社境内
・司馬遼太郎 風頭公園内
・なかにし礼 梅園天満神社境内

*主な歌碑  
・大田蜀山人 長崎公園内、諏訪神社境内
・斎藤茂吉 桜町公園内、興福寺境内
・中村三郎 長崎公園内(本館正門下)
・吉井勇 聖福寺境内、本蓮寺境内、稲佐公園内
・永井隆 如己堂敷地内

*主な句碑  
・松尾芭蕉  清水寺境内、春徳寺境内
・向井去来 諏訪神社境内、花月内、徳三寺境内
・隈治人 原爆落下中心地公園内
・下村ひろし 原爆落下中心地公園内、諏訪神社境内、中島川公園内
・水原秋桜子 原爆落下中心地公園内、長崎大学医学部敷地内、
西坂公園内(水原秋桜子・下村ひろし句碑)


【参考になる資料】
・『長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)』長崎学ハンドブックⅢ
  【原田博二 編/(旧)長崎市立博物館 刊行/2004年03月/13-5471-3】

・『長崎の碑(いしぶみ)』第1集~第10集
【どじょう会 編/長崎市南公民館 刊行/1993~2001年/13-3875 1~10】

・『長崎散策 歌碑・歌跡を訪ねて』
【宮川雅一 著/出島屋プロダクション 刊行/2003年02月/12-2503-1】

・『長崎散策その2 斎藤茂吉の歌碑・歌跡を訪ねて』
【宮川雅一 著/出島屋プロダクション 刊行/2003年11月/12-2503-2】

・『長崎散策その3 向井去来の句碑・足跡を訪ねて』
【宮川雅一 著/出島屋プロダクション 刊行/2003年08月/12-2503-3】

・『長崎歌人伝 ここは肥前の長崎か』
【堀田武弘 著/あすなろ社 刊行/1997年10月/12-2119】

・『別冊読本 長崎の文学』
【長崎県高等学校教育研究会国語部会 編・刊行/1993年12月/12-714】

・『長崎市の文化財』
【長崎市教育委員会 編・刊行/1988年03月/18-282-1】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「長崎市の公園」 http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kouen


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 9 文学 ③
[Q]長崎県内にはどのような文芸誌があるか、教えてほしい。

[A]『文藝年鑑 平成十七年度版』
【日本文藝家協会 編/新潮社 刊行/2005年07月/12-2897】の「全国同人雑誌一覧」に掲載されているものは、以下のとおりです。

  【  】のあるものは当館で所蔵しています。(すべてではなく、欠号もあります)

〇小説・評論
  『コスモス文学』【コスモス文学の会/12-1230】
  『長崎文学』  【長崎文学の会/12-1340】
  『虹』     【九州公論社/19-477】
  『西九州文学』 【西九州文学会/19-418】
  『理想と小説』 【アポロン社/19-1859】

〇詩
  『あるるかん』【あるるかん詩舎/12-1339】 
  『子午線』  【子午線社/12-960】
  『千年樹』 【岡耕秋 編/12-2286】
  『SEED(シード)』・『葱』・『ぷねうま』

〇短歌
  『あじさい』【水甕長崎支社/12-2327】
  『あすなろ』【あすなろ社/12-927】
  『海港』 【コスモス短歌会長崎支部/12-2529】
  『多島海』 【多島海短歌社/12-1260】
  『やまなみ』【やまなみ短歌会/12-650】
  『湾』   【湾の会/19-700】
  『アイリス』・『パレット』

〇俳句
  『沖長崎』【沖長崎発行所/12-1464】
  『場』

この他、次の文芸誌を寄贈いただき、所蔵しています。
〇総合
  『長崎県文芸』【長崎県文芸協会/19-263】
  『ら・めえる』【長崎ペンクラブ/19-1052】
  『青い海』  【松浦市文化協会/19-1563】
  『長崎文化』 【長崎国際文化協会/19-246】
  『諫早文化』 【諫早文化協会/19-656】 
  『浜木綿』  【五島文化協会/19-273】
  『岬』    【岬の会/ 創刊間もなく請求記号を付していませんが、所蔵あり】
  『雑草園』  【雑草園/ 同上】

〇短歌
  『あけぼの』 【あけぼの短歌会/19-1573】
  『歌の実』 【歌の実短歌会/12-1452】
  『長崎歌人会会報』【長崎歌人会/19-965】

〇詩
  『珊瑚樹』【珊瑚樹舎/12-604】
  『旋律』 【長崎ラ・メールの会/12-2285】

〇俳句
  『海坂(うなさか)』【あるるかん詩舎/請求記号を付していませんが、所蔵あり】
  『西陲』     【西陲発行所/19-471-2】
  『太白』 【太白発行所/19-93-2】

〇川柳
  『ながさき』 【長崎川柳社/19-98】


掲載日:2007年2月14日

■項目:郷土 9 文学 ④
[Q]長崎県関連の文学賞や文芸大会を知りたい。

[A]

名 称主 催ジャンル・規定参考資料
伊東静雄賞・諫早市
・伊東静雄顕彰委員会
現代詩1編
 (未発表作品)
『伊東静雄賞』
【伊東静雄顕彰委員会 刊行/12-1806】
長崎県文学賞長崎県文芸協会小説、随筆、現代詩、 短歌、俳句、川柳 長崎県在住者『長崎県文芸』
【長崎県文芸協会 刊行 /19-263】
佐世保文学賞佐世保文化協会文芸活動全般
佐世保市内とその近 郊の居住者
佐世保市内の刊行物
・会合での作品発表者
『火の国』
【佐世保文化協会 刊行 /19-554】
原爆忌文芸大会・長崎国際文化協会
・長崎市
・長崎市教育委員会
原爆・平和をテーマ とした短歌、俳句、 川柳『原爆忌文芸大会応募
 作品集第40回記念』
【長崎国際文化協会 刊 行/2002年08月/ 12-1972】
昭和38年から毎年開 催され、全国から作品 を募集しています。

県内の同人誌(文学③で紹介)の中で、ホームページ上で全国公募しているもの
名 称主 催ジャンル・規定 参考資料
・コスモス文学新人賞
・シニア文学新人賞
コスモス文学の会小説、随筆、ノンフ ィクション、童話、
児童小説、評論、脚 本、現代詩
コスモス文学新人賞 は誰でも応募できる
シニア文学新人賞は 60歳以上 その他 は制限なし
『コスモス文学』
【コスモス文学の会 刊行/12-1230】

【参考になるインターネットのサイト】

☆「詩人伊東静雄を偲ぶホームページ」http://www11.ocn.ne.jp/~kamimura

☆「コスモス文学新人賞」 http://www.cosmos-s.jp


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 9 文学 ⑤
[Q]長崎県の児童文学について知りたい。

[A] 次の項目で分類して、児童文学作家・絵本作家(画家)・翻訳家・作品を考えていきます。

1 長崎県出身者
2 長崎県出身者ではないが、かつて県内に住んだことのある者
3 長崎県出身者ではないが、現在、県内に住んでいる者
4 長崎県を舞台にした作品

1 に該当する人

   *渡辺与平(長崎市出身、夭逝の画家 1889~1912)
    ・『ヨヘイ画集』
     【春秋社 刊行/1910年/18-44】 

    ・『落穂ひろい 上・下』
     【瀬田貞二 著/福音館書店 刊行/1982年/726.5-SE-1~2】

    ・『赤い船』
     【小川未明 著/ほるぷ出版 刊行/1981年/918.6-ME22-5】

    ・『池袋モンパルナスの童画家たち』
     【上笙一郎 著/明石書店 刊行/2006年】

  *樺島勝一(諫早市出身、現在のイラストレーター的活躍、草創期のマンガ
    作家として著名 1888~1965)(佐賀市出身の説もあります。)
    ・『正チャンの冒険』
     【小学館クリエイティブ 刊行/2003年/18-1785】

    ・『日本の童画 4』
     【田中重弥 編/第一法規出版 刊行/1981年/726.7-N4】 

  *黒崎義介(平戸市出身の童画家 1905~1984)
    (略歴は、このレファレンス事例集「7芸術・スポーツ」①にあります。)
    ・『日本の童画家たち』
     【平凡社 刊行/2006年/18-1862】

    ・『池袋モンパルナスの童画家たち』【同上】

    ・『日本の童画 3』【同上/726.7-N3】 

  *福田清人(波佐見町出身の児童文学作家、文芸評論家 1904~1995)
    ・『春の目玉』
     【講談社 刊行/1963年/19-1972-41】
    
    ・『秋の目玉』
     【講談社 刊行/1966年/19-1972-42】

    ・『暁の目玉』(絵は太田大八)
     【講談社 刊行/1968年/913.6-フ】

    ・『岬の少年たち』
     【旺文社 刊行/1978年/913.6-フ】

  *おおえひで(旧野母崎町出身の児童文学作家 1912~1996)
    ・『八月がくるたびに』
     【理論社 刊行/1978年/12-1575】

    ・『海べの小さな村で』
     【偕成社 刊行/1978年/913.6-オ】

    ・『心でさけんでください』
    【小学館 刊行/1968年/913.6-オ】

    ・『南の風の物語』
     【理論社 刊行/1961年/913.6-オ】

    ・『浜ひるがおの花が咲く』
    【汐文社 刊行/1985年/19-1972-90】

  *太田大八(大村市出身、幼少期まで大村で過ごした画家・イラストレーター1918~)
     ・『だいちゃんとうみ』
     【福音館書店 刊行/1992年/E-オ】
     ・『かさ』
     【文研出版 刊行/1975年/18-1782】

     ・『やまなしもぎ』
     【平野直 再話/福音館書店 刊行/1978年/726.5-H】

     ・『日本の童画 13』【同上/726.7-N4】
     
     ・『絵本西遊記』(翻訳は中由美子)
     【呉承恩 著/童心社 刊行/1997年/E-オ】
 
     ・『太田大八作品集』
     【童話舘出版 刊行/2001年/726.6-オ】 

  *村山早紀(長崎市出身の児童文学作家 1963~)
     ・『ちいさいえりちゃん』
     【あかね書房 刊行/1993年/913.6-ム】

     ・『シェーラひめのぼうけん』シリーズ
     【童心社 刊行/1997年~/913.6-ム】

     ・『砂漠の歌姫』
     【偕成社 刊行/2006年/12-3249】

  *中 由美子(長崎市出身の中国児童文学翻訳家)
     ・『ある15歳の死』
     【陳丹燕 著/ベネッセ 刊行/1990年/923.7-チ】

     ・『「ある15歳の死」を生み出したもの』
     【諌早子どもの本の会 刊行/1998年/923.7-チ】

     ・『絵本西遊記』(絵は太田大八) 【同上】
      
     ・『よあけまで』
     【曹文軒 著/童心社 刊行/2002年/E-ワ02】

     ・『きみのうち ぼくのうち』
     【ヤン・ホアン 著/岩崎書店 刊行/2006年/E-ホ06】

      ・『アティと森のともだち』
     【イェン・シュニュイ 著/岩崎書店 刊行/2005年/E-チ05】

     ・『すみれほいくえん』
     【鄭春草 著/福音館書店 刊行/1992年/923.7-テ】 

     ・『中国の児童文学』
     【中由美子 著/久山社 刊行/2006年/12-3188】

  *佐伯愛子(大村市出身の北欧児童文学翻訳家、ボストン在住 1973~)
   ・『かきねのむこうはアフリカ』
     【アンナ・ヘグルン 著/ほるぷ出版 刊行/2001年/12-3179】
     
   ・『スティーナとあらしの日』
     【レーナ・アンデェション 著/文化出版局 刊行/2002年/12-3180】

   ・『星座大めいろ』
     【ロルフ・ハイマン 著/ほるぷ出版 刊行/2007年】

2 に該当する人

  *長野ヒデ子(愛媛県出身の絵本作家、紙芝居作家 1941~)
        (1969年~1971年 長崎市在住) 
     ・『おかあさんが おかあさんになった日』
     【童心社 刊行/1995年/E-ナ】 

     ・『せとうちたいこさん デパートいきタイ』
     【童心社 刊行/1995年/E-ナ】 

     ・その他、新見南吉、松谷みよ子作品の絵を担当されています。

  *本間ちひろ(神奈川県出身の詩人・イラストレーター、中学・高校時代を諌早で過ごす 1978~)
     ・詩集『金魚のでんわ』
     【書肆楽々 刊行/2001年/911.5-ホ】
  
     ・詩画集『いいねこだった』
     【書肆楽々 刊行/2001年/911.5-ホ】

     ・『ねこくん こんや なにたべる?』
     【リーブル 刊行/2004年/E-ホ04】

    ・その他、宮沢賢治作品の絵を担当されています。

3 に該当する人

  *長谷川集平(兵庫県出身の絵本作家、ミュージシャン 1955~)
     ・『はせがわくん きらいや』
     【すばる書房 刊行/1976年/E-ハ】

     ・『日曜日の歌』
     【好学社 刊行/1982年/E-ハ】

     ・『トリゴラス』
     【文研出版 刊行/1980年/726.5-H】

     ・『あしたは月曜日』
     【文研出版 刊行/1997年/E-ハ】

     ・『絵本づくりトレーニング』
     【筑摩書房 刊行/1988年/726.5-ハ】

     ・『見えない絵本』
     【理論社 刊行/1989年/913.6-ハシ】

  *堀直子(群馬県出身の児童文学作家 1953~)
     ・『おれたちのはばたきを聞け』
     【童心社 刊行/1982年/913.6-ホ】

     ・『つむじ風のマリア』
     【小学館 刊行/1983年/913.6-ホ】

     ・『少女たちの帆を張って』
     【あかね書房 刊行/1995年/913.6-ホ】

  *西平あかね(東京都出身の絵本作家 1968~)
     ・『おばけのおつかい』
     【福音館 刊行/2005年/12-2997】

     ・『おばけかぞくのいちにち』
    【福音館 刊行/2006年/E-ニ06】

4 に該当する人

   *古田足日(山口県出身の児童文学作家、元山口女子大学教授 1927~)
     ・『南十字星の少年』
     【童心社 刊行/1993年/913.6-フ-11】

  *長野ヒデ子
     ・『わが名は荒木宗太郎』(主人公;近世初期に活躍した長崎の朱印船貿易商人)
     【岩崎京子 著/偕成社 刊行/1992年/12-1998】

   *岩崎京子
     ・『ド・ロ神父と出津の娘たち』
     【旺文社 刊行/1985年/913.6-I96】

   *長谷川集平
     ・『ホームランを打ったことのない君に』
     【理論社 刊行/2006年/12-2958】

     ・『とんぼとりの日々』
     【すばる書房 刊行/1978年/726.5-H】

  *堀直子
     ・『長崎少女シェフ物語』
     【小峰書店 刊行/2001年/913.6-ホ】


掲載日:2007年3月30日

■項目:郷土 9 文学 ⑥
[Q]『広辞苑』の編者として知られる新村出(しんむら いずる)は、長崎とのかかわりが深いと聞きました。そのことについて調べたい。

[A]新村出(しんむらいずる)は、山口県出身の言語学者・国語学者です。
 1907(明治40)年春、神戸から長崎を経由してドイツ留学へ出発したおりが長崎への初旅で、その後たびたび訪れています。京都帝大教授兼図書館長として、本館や長崎医学専門学校(長崎大学医学部の前身)で講演を行ったり、資料調査のため来崎しています。
 1923(大正12)年11月の旅のことは、『南蛮更紗』の中に「長崎再遊」として描かれています。同年11月18日、本館『芳名録』に記帳があります。
 1927(昭和2)年7月の旅では、長崎市内の見物、島原半島での調査、雲仙観光、再び長崎へ戻り、船で帰京するまでの約10日間のことを、『南国巡礼』の中に記述しています。
 本館から徒歩で10分の所にある聖福寺境内には、新村出の筆による「じゃがたらお春」の碑があります。(生年1876(明治9)年、没年1967(昭和42)年)

【参考になる資料】
・『新村出全集』第1~15巻
【新村出 著/筑摩書房 刊行/1971~1973年/081-SH64-1~15】

・『南蛮更紗』
【新村出 著/改造社 刊行/1925年05月/19-15】

・『南国巡礼』
【新村出 著/梓書房 刊行/1930年08月/13-1086】

・『長崎を訪れた人々 大正篇』
【高西直樹 著/葦書房 刊行/1989年12月/13-3321-2】

・『長崎を訪れた人々 昭和篇』
【高西直樹 著/葦書房 刊行/1995年03月/13-3321-3】

【参考になる施設】
聖福寺 長崎市玉園町3-77


掲載日:2007年6月6日

■項目:郷土 9 文学 ⑦
[Q]代表作『大地』で知られるパール・バックが日本を舞台に描いた小説は長崎と関係があるそうですが、そのことについて調べたい。

[A]パール・バック(1892~1973)はアメリカのノーベル賞作家です。
 1927(昭和2)年に雲仙に4ヶ月滞在したことがあり、その際1792(寛政4)年の普賢岳噴火による津波被害(いわゆる島原大変) などの話を聞いて、それを題材に短編小説を執筆しました。
 それが「THE BIG WAVE 」(邦題「つなみ」または「大津波」)です。 突然の大津波によって家も家族も奪われた少年が、農村の友達の家庭で暖かい愛情に包まれて育ち、 再び浜に戻り再建を誓う物語。これは1949(昭和24)年に「米国児童研究協会」から「児童文学賞」を受賞しています。
 1960(昭和35)年には映画化され、その撮影に立ち会うため、パール・バックは雲仙を再訪しています。 歌手のジュディ・オングが子役で出演し、津波シーンの特撮は「ゴジラ」の円谷英二が担当しました。米国上映が 目的で、日本ではほとんど上映されませんでしたが、2005(平成17)年10月に45年ぶりに地元雲仙市で上映会が行れました。
 本館は1948(昭和23)年にアメリカで出版された本と、1988(昭和63)年に日本で挿し絵を添えて復刻された本を所蔵しています。 アメリカで出版された原書には、葛飾北斎と歌川(安藤)広重の版画が挿絵として入っています。

【参考になる資料】
・『THE BIG WAVE』(洋書)
【Pearl S.Buck 著/The John Day Company 刊行/1948年/933.7-B】

・『THE BIG WAVE 大津波』』
【パール・S・バック 著/トレヴィル 刊行/1988年12月/933.7-バ】

・『パール・バック伝』上巻・下巻
【ピーター・コン 著/舞字社 刊行/2001年10月/930.2-コ-1~2】


掲載日:2007年11月22日

■項目:郷土 9 文学 ⑧
[Q]小林多喜二著の『蟹工船』で、「監督浅川」として描かれている人物のモデル
は、長崎出身と聞いた。その人物について知りたい。

[A]小説に出てくる「博光丸」は、実在した蟹工船「博愛丸」の名前をヒントにしています。1926(T15)年9月報道の「博愛丸事件」の時、その事業主は松崎隆一氏で、彼は長崎市の出身でした。
 藤崎康夫著『北洋フロンティア』に、以下のようにあります。
 「博愛丸」は、昭憲皇后が命名した元日本赤十字社の病院船で、有事提供を条件に日本郵船の上海航路に就航しており、知名度は高かった。

 石川清熊編『松崎隆一翁資料』に、以下のようにあります。

1892(M25) 長崎市出身
1910(M43) 長崎県水産講習所卒(第1回卒業生)
  松田缶詰製造所勤務
1917 (T6) 東京高等工業卒
1919 (T8) 農商務省水産講習所嘱託として、実習船雲鷹丸に乗組み、
  蟹缶詰製造に成功 (蟹工船として初)
1918 (T7) 農商務省水産講習所嘱託教官
1923(T12) 蟹工船事業開始
1929 (S4) 缶詰工場建設のため、紋別へ移住
  北洋漁業の経営にも従事
1951(S26) 日本缶詰生販創業
1968(S43) 北海道開発功労者として、インタビュー録音
  (道立文書館に保存)
1971(S46) 逝去

 手塚英孝著『小林多喜二』に、以下のようにあります。
(八 「『「一九二八年三月十五日』『蟹工船』」の章)
 北海道拓殖銀行小樽支店に勤務していた小林多喜二は、土・日曜を利用して函館に出向き、蟹工船の実地調査や乗組員からの聞き取りに取り組んでいた。
 小説『蟹工船』は、1929(S4)年に発表されるが、「小樽新聞」・「北海タイムス」に大きく報道された事件は、以下のものである。
・1926(T15)年4月
  秩父丸が暴風雨で座礁、乗組員254人の内、170人が行方不明となる。
  近くを航行していた英航丸、その他の蟹工船は、救助信号を受けながら、救助に赴かなかった。

・同9月
  ・博愛丸、英航丸の漁夫・雑夫虐待事件
  ・英航丸のストライキ

 岡本正一著『漁業発達史 蟹缶詰篇』に、以下のようにあります。
(P700に、英航丸のストライキに関する記述のみ、見出しました。)
・P667 松崎隆一の項
 ……(大正)15年には中村精七郎の許可名義を借り受け、汽船博愛丸(2615噸)にて……阿部金之助を事業主任、古田島磯雄を製造主任として……4月23日より9月3日迄の間……21561函を製造……歩留り63.1尾の好成績を挙げた。(中村精七郎は平戸市出身、山縣勇三郎の実弟)

・P774
 ……同年8月4日……博愛丸は、……ソ連官吏に襲はれ……臨検せんとしたが、同船作業監督は……理由なしとして之を拒否した。
 (以下、活動写真撮影のため航行中の博愛丸附属発動機船の臨検も求められたが、松崎隆一氏が拒否した旨、記述されています。)

 以上のことから、松崎隆一氏は、蟹工船事業の先駆者として著名で、かつ、博愛丸の知名度の高さから、モデルに擬せられたと言えるようです。小説のストーリーは、他の蟹工船で起きた事件も組み合わせて、創作されています。

【参考になる資料】
・『長崎県水産講習所業務報告』
【長崎県水産講習所 編・刊/1923年~/18-802】

・『漁業発達史 蟹缶詰篇』
【岡本正一 著/霞ヶ関書房 刊/1944年/660-O42】

・『近代漁業発達史』
【岡本信男 著/水産社 刊/1965年/660-O42】

・『新潮日本文学アルバム 小林多喜二』
【新潮社 刊/1985年/910.2-Sh61-28】

・『北洋フロンティア』
【藤崎康夫 著/毎日新聞社 刊/1999年/289.1-キ】

・『小林多喜二』
【手塚英孝 著/新日本出版社 刊/2008年/910.2-テ08】

・『松崎隆一翁資料集』
【石川清熊 編/自主制作/2008年/289-99マリ】

・『日本赤十字社創立125周年記念展』
【日本赤十字社 編・刊/2002年/369.1-ニO2】
 (病院船として建造された「博愛丸」の写真を掲載)  

【参考になるインターネットのサイト】
☆「白樺文学館 多喜二ライブラリー」 www.shirakaba.ne.jp/

☆「市立小樽文学館」
http://www.city.otaru.hokkaido.jp/kyouiku/bungaku-kan/
bungaku.htm

☆「北海道立文学館」 www.h-bungaku.or.jp/


掲載日:2008年12月1日

■項目:郷土 9 文学 ⑨
[Q]山口麻太郎著『壱岐国史』のP292に、以下のようにあります。
 「衣笠内大臣藤原家良の歌“雪の島 牧の子牛が三とせまで はなたぬほどもたへがたの夜や” は、牛の産地壱岐としては忘れられない歌である。家良が内大臣になったのは仁治元年(1240)
乃至二年と見るべきものであるから、その後の作と見ねばならぬ。」
 この和歌の出典を知りたい。

[A]『新編 国歌大観 第二巻 私撰集編 索引』のP1078に、同歌が記載され「14新六 帖886」、「16夫木12956」とありましたので、『同 歌集』を調べ、以下のような記述を 確認しました。
・P381 886 ゆきのしま まきのこうしの みとせにて はなさすほども たへがたの世や
(『新撰和歌六帖』第二帖「うし」の部)と記載。

・P758 12956 ゆきのしま まきのこ牛の みとせにて はなさすほども たへがたのよや
六帖題 新六二 衣笠内大臣
(『夫木和歌抄』巻第二十七 雑部九末 動物 下 「牛」の部)と記載。

(同資料には、『新撰和歌六帖』・『夫木和歌抄』の解題も掲載されています。)

 なお、『芦辺町史』のP114には「雪の島 牧の子牛が三年にて はなさすほどもたえ がたの夜や」と記されています。

【参考になる資料】
・『壱岐国史』【山口麻太郎 著/長崎県壱岐郡町村会 刊/1982年/219.3-Y】
・『新編 国歌大観 第二巻 私撰集編 索引』【角川書店 刊/1984年/911.1-SH69-2-2】
・『新編 国歌大観 第二巻 私撰集編 歌集』【同/同/911.1-SH69-2-1】
・『芦辺町史』【芦辺町 編・刊/1978年/219.3-A】

【参考になるインターネットのサイト】
☆「国際日本文化研究センター」和歌データベース
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/waka.html
 作者や語句で検索可能です。


掲載日:2009年6月5日