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●明治35年以降の郷土新聞

本館では、明治35(1902)年以降の郷土の新聞を、原物か原寸大の複写の形で閲覧できます。
 その代表的なものは、「東洋日の出新聞」です。同紙は、明治35(1902)年、福島県出身の鈴木天眼(本名;力)により創刊されました。
 天眼は「二六新報」の主筆でしたが、朝鮮半島の支配権を巡り日清間の関係が悪化すると、民間の軍事組織「天佑侠」を組織し、日本が朝鮮に軍事介入できる混乱状況を醸成しようと、現地で画策しました。この後、過激な行動はなくなりますが、積極的な大陸経営・大陸進出の考え方は一環していました。明治31(1898)年、長崎で「九州日之出新聞」の創刊に参画、内部対立で退社後、「東洋日の出新聞」を発刊します。
 日清戦争・義和団の乱以後の日本の大陸進出が不十分であるという考え方を持っていた天眼は、対露強硬の論陣を張り、日露戦争勃発後は、地方新聞ながら西郷四郎らを特派員として派遣します。しかし、戦争が長期化すると、休戦に向けての外交交渉・講和を主張、ポーツマス条約締結を明確に支持します。当時、長崎市内には、他に「長崎新報」・「九州日之出新聞」・「長崎新聞」(以上3紙、この時期のものは残っていない)・「鎮西日報」(この時期のものは「長崎歴史文化博物館」に所蔵)の4紙が発刊されていましたが、全て講和反対でした。全国の多くの新聞が講和反対を唱える中、新聞史上に異彩を放っていると言えます。
 天眼は辛亥革命も支援しており、孫文は、大正2(1913)年、天眼宅を訪問しています。

参考文献『長崎が出会った近代中国』横山宏章 著/海鳥社/2006年

郷土の新聞一覧
新聞名・主な記事 所蔵の時期 備考 発行地
東洋日の出新聞
「日本海海戦」前後の記事
長崎市の米騒動
1902(明治35)年3月~1924(大正13)年12月 1902(明治35)年1月創刊 長崎市
1903(明治36)年5月~10月は所蔵なし
長崎新聞
(現在の長崎新聞とは直接の関係なし)
金融恐慌でモラトリアム発令
「日本新八景」に雲仙選ばれる
1906(明治39)年7月~1918(大正7)年5月
1922(大正11)年10月~1935(昭和10)年8月
1905(明治38)年1月18日創刊 
1924(大正13)年は1,2月のみ所蔵
九州日之出新聞
長崎電鉄(株)成立、他
第一次世界大戦と長崎
1908(明治41)年1月~9月 1912(大正元)年8月~1918(大正7)年2月 1898(明治31)年12月創刊
1908(明治41)年4月、1912(大正元)年9,12月、1913(大正2)年8月、1915(大正4)年1~3月、1916(大正5)年12月、は所蔵なし
長崎日日新聞
(現在の長崎新聞の前身)
終刊の言葉
東条首相の来崎
1912(大正元)年8月~1915(大正4)年7月
1923(大正12)年9月
1927(昭和2)年~1942(昭和17)年3月
1946(昭和21)年12月~1959(昭和34)年1月
1911(明治44)年「長崎新報」から名称変更
1913(大正2)年4月、1915(大正4)年5月、1931(昭和6)年9,10月は所蔵なし
*1942(昭和17)年4月1日~1945(昭和20)年7月「長崎日報」に、1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月「長崎新聞」に名称変更
長崎新聞 1959(昭和34)年~現在 「長崎日日新聞」と「長崎民友新聞」の合併
長崎民友新聞
大相撲長崎/島原場所
諫早眼鏡橋 来月から解体移転
1940(昭和15)年12月~1942(昭和17)年3月 1946(昭和21)年12月~1959(昭和34)年1月 1924(大正13)年11月創刊
1941(昭和16)年5月は所蔵なし
*1942(昭和17)年4月1日~1945(昭和20)年7月「長崎日報」に、1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月「長崎新聞」に名称変更
☆長崎日報(地方紙合同)
「活水」学校農園
1942(昭和17)年4月~1945(昭和20)年7月 「長崎日日新聞」「長崎民友新聞」「佐世保軍港新聞」「島原新聞」の合併
1944(昭和19)年9月~1945(昭和20)2月は所蔵なし
★長崎新聞(中央紙と合同) 1945(昭和20)年7月~1946(昭和21)年12月 「長崎日報」「読売報知新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」の合併
夕刊 長崎タイムズ
マ元帥報告 国連へ(朝鮮戦争)、「長崎の鐘」現地ロケ始まる
1949(昭和24)年11月~1951(昭和26)年5月12日 1949(昭和24)年10月創刊
夕刊 長崎日日 1951(昭和26)年5月~1954(昭和29)5月 「夕刊長崎タイムズ」から名称変更
長崎ジャーナル 1997(平成9)年11月~2004(平成16)年11月  
☆長崎日報は、東条内閣の一県一紙政策に則り、「長崎日日新聞・長崎民友新聞・佐世保軍港新聞・島原新聞」が合同して発刊した。
★新聞非常措置に基づき、長崎県内では「長崎日報・朝日・毎日・読売」が合同して「長崎新聞」として発刊された。
新聞名・主な記事 所蔵の時期 備考 発行地
長崎時事新聞
米空母エンタープライズ入港
1965(昭和40)年7月~1968(昭和43)年7月   佐世保市
サセボ商工新聞
原子力船「むつ」見返りの思惑
高卒で六万四千円
1968(昭和43)年11月~1985(昭和60)年8月 欠号あり
佐世保新報
大塔卸団地 建設診断始まる
1970(昭和45)年9月~1971(昭和46)年2月 欠号あり
西海タイムズ 1971(昭和46)年1月~1992(平成4)年10月 終刊
県北タイムズ 1982(昭和57)年6月~1991(平成3)年5月 終刊
政経新聞 2007(平成19)年8月~現在  
島原新聞 1971(昭和46)年8月~現在 1977(昭和52)年8月~1982(昭和57)年7月は、所蔵なし 島原市
壱岐新聞(発行:(株)アットマーク) 2012(平成24)年4月~現在   壱岐市
壱岐新報 2012(平成24)年4月~現在  
壱岐日々新聞 2008(平成20)年1月~2016(平成28)年5月 廃刊
新壱岐 1982(昭和57)年8月~2012(平成24)年5月 廃刊
壱岐日報 1970(昭和45)年6月~2012(平成24)年3月 第1811号は、所蔵なし
廃刊
壱岐新聞(発行:壱岐新聞社) 1982(昭和57)年7月~1997(平成9)年5月  
ふれ太鼓壱岐 1987(昭和62)年11月~2001(平成13)年3月 終刊
壱岐正論 1982(昭和57)年8月~2007(平成19)年3月  
対馬新聞 1982(昭和57)年8月~現在   対馬市
対馬評論 1982(昭和57)年8月~2007(平成19)年5月 終刊
五島新聞 1977(昭和52)年4月~1999(平成11)年12月 1978(昭和53)年6月~1984(昭和59)年5月は、所蔵なし 五島市
五島新報 2008(平成20)年3月~2014(平成26)年1月 終刊
その他
新聞名 所蔵の時期 備考 発行地
長船ニュース 1974(昭和49)年12月~現在 2003(平成15)年4月~「長崎ニュース」に改題 長崎市
長崎建設新聞 1996(平成8)年2月~現在  
長崎保険医新聞 2000(平成12)年9月~現在  
(団地)ホームジャーナル 1969(昭和44)年4月~2004(平成16)年11月 題字の下に「団地のニュースをホームジャーナルにお知らせ下さい」とアリ
スマトラ毎日新聞
(2)~(14)は号数を表す
1929(昭和4)年12月28日(第1号)~1932(昭和7)年2月27日(第15号)
昭和5年1月17日(2) 2月11日(3) 5月10日(4) 6月27日(5) 8月31日(6) 9月18日(7)
昭和6年2月21日(8) 3月17日(9) 4月27日(10) 5月31日(11) 7月12日(12) 9月22日(13) 11月30日(14)
インドネシア
御大典記念新聞
(昭和天皇御成婚)
1915(大正4)年11月
 式典前後の新聞を集めて合冊している
長崎日日新聞・長崎日報・長崎新聞・九州日の出新聞
対馬日日新聞・壱岐時報・軍港新聞・台湾日日新聞
その他 九州地区・東京地区の新聞
各地
御大典記念新聞
(昭和天皇御即位)
1928(昭和3)年3月
 式典前後の新聞を集めて合冊している
東洋日の出新聞・新長崎・長崎日日新聞・長崎民友新聞
長崎時事新聞・島原新聞
北鮮時事新報・京城日報
その他 九州地区・東京地区の新聞
各地